スギヒラタケ|杉平茸 スギワケェ ※毒

毎年9月頃、杉の枯れ木や切り株にいくつも重なりあって群生する。傘は扇状で、白く小さい。柄はなく、素手で付け根からつまみ上げれば採取できる。大鳥では”スギワケェ”と呼ばれ、手軽に採集できるキノコとして塩漬け保存をしたり、お吸い物や酢の物で食べられていた。

かつてはスギヒラタケの缶詰も流通したりと日本海側を中心に食用として人気があったが、2004年に脳炎脳症をひきおこすことが判明し、農林水産省や厚生労働省、各都道府県でも食用は勧められていない。

マスタケ|鱒茸

傘肉がサーモンピンク色で、鱒の身に似ていることからマスタケと名がついた。幼菌では明るい黄色やオレンジ色で果肉も耳たぶのように柔らかいが、徐々に鈍い黄色になり、老菌になると退色して黒くなり、身がボソボソ、食べても苦いそう。

大鳥ではその年に採った山菜や茸を保存しておき、お盆や年夜、正月に合わせて一つ一つで手作りする慣習があるが、無明舎出版 編の『庄内の祭りと年中行事』で大鳥の正月料理にマスタケが使われていることが紹介されている。

年夜と正月料理の数々

お膳に付ける料理は、カラゲ(魚のエイ)を水戻しして甘辛く煮上げたカラゲ煮と、マイタケとマスダケと油揚げの煮物、ゼンマイ煮、ナメコの酢の物、タイの焼き物とウマヅラ汁。 一緒につくっておいた正月料理の方は、キンビラゴボウと黒豆煮、ミズ煮、昆布巻き、カラドリ芋煮、干し大根や青豆を入れて漬けたハリハリ漬けと水ようかん。

地域色が強いのは、代々伝わるマスの寿司。炊いたご飯と麹に塩マスを漬け、笹の葉にくるんで一カ月間発酵させてつくる伝統料理である。 そのほかにたけゑさんは、お孫さんの要望に応えて甘酒も準備していた。

9月頃、ミズナラの枯れ木などに傘が重なって生える。採取は幼菌で、傘が耳たぶのような柔らかいのものを選んで採る。素手で付け根から採り、袋にいれて持ち帰る。付け根の木屑や土を取り除いて調理するが、生では毒成分があるので十分に火を通す。また、「食べすぎても中毒になる」と言われるので注意が必要。

肉厚で鶏肉のような食感があり、油炒めや天ぷら、煮物などが合う。保存する場合は沸騰したお湯でサッと茹でてから塩漬け。もしくは米・麹・マスタケを笹の葉で包んで一ヶ月ほど発酵させ、馴れ鮨とする。茹でてから冷凍してもOK。

また、ヨーロッパで自生する山菜や茸、木の実などの生態とレシピを紹介している、『WILD FOOD』でもドイツ語圏の国では良く知られているキノコとしてマスタケを紹介している。ベーコンと一緒に炒めたり、揚げて食べられたり、キャセロールという豚肉や牛肉と野菜や調味料をとろ火で煮込んだ料理にT使われる、とある。

■参考文献

月山  山菜の記』芳賀竹志

よくわかるきのこ大図鑑―場所 かさ 柄 胞子』小宮山勝司

『採れたて田麦 田麦俣の山菜・きのこの味』鶴岡市企画部地域振興課

WILD FOOD』Phillips Roger

 

■参考URL

きのこ採りシリーズ⑧ マスタケ・ヌケオチ | あきたの森づくり活動サポートセンター

クリタケ|栗茸 アカモダシ

傘が褐色で、”モダシ”にもやや似ていることから来ているのか大鳥では”アカモダシ”と呼ばれる。由来は、クリの木によく発生し、傘が栗色であるからその名がついたからだとか。傘は幼菌で直径3㎝程度ですが、成長すれば5~8㎝になり、軸は繊維質で丈夫。晩秋に出るキノコなので、出始めると茸シーズンの終わりを感じさせる。

岡村稔久著の『日本人ときのこ』で史上の栗茸について文献を通じて紹介している。室町時代の国語辞書「節用集」ではクリタケを意味する”茅茸”の記述があり、1802年に滝沢馬琴が著した俳諧の季語集『俳諧歳時記』にも”栗茸”の記述がある。

秋~晩秋に広葉樹のナラ、クリ、ブナなどの枯れ木、切り株、埋もれ木などに出る。採取は根元からつまんで採るが、土の付着が気になる場合は根元にナイフを入れる。傘が崩れないようビニール袋にいれる。持ち帰ったら軸の先が硬いものはハサミなどで切り、生食は毒なので必ず火を通して使う。保存は天日干しにするか、茹でて塩漬け。

シャキシャキとした歯切れで、風味が良いので良いダシが出る。油炒め、煮物、汁物、炊き込みご飯、キノコ鍋などにして食べるのがおススメ。

■参考文献

きのこの呼び名事典 写真でわかる』 大作晃一

日本人ときのこ (ヤマケイ新書)』岡村稔久

よくわかるきのこ大図鑑―場所 かさ 柄 胞子』小宮山勝司

『採れたて田麦 田麦俣の山菜・きのこの味』鶴岡市企画部地域振興課

ナラタケ|楢茸 モダシ

“もだし”、”もたし”、”もとぁし”という名で呼ばれる。10月~1ヶ月ほど、ブナやミズナラ、コナラなどの倒木や、原木の榾木などに群生する。原木栽培しているナメコのほだ木にもよく出る。黄色や褐色などの3㎝程度の小さな傘で、重なるように出る。大鳥ではカリカリモダシ、土モダシ、根っこモダシ、やなぎモダシ、サワモダシと、出る場所で種別が分かれ、それぞれに味わいが違うんだとか。根っこモダシは、木の根っこから出るモダシ。土モダシは土から生えるモダシ。サワモダシは沢筋の湿った倒木などに生えるモダシ。

ナラタケは成長が早く、3日も経てば幼菌から成菌になるので、タイミングを逃すと腐ってしまう。毎日のように見回りにいくが、雨降りの翌日は特に気を付ける。傘が崩れやすいので丁寧に採取し、軸の先端をちぎりながら袋に入れる。軽く抑えて空気を抜き、キノコが動かないように、潰れないようにして袋の口を縛る。持ち帰ったら水に浸さず、先に鍋で茹でる。そうすることで傘が丈夫になり、その後の水洗いや選別作業がし易くなる。保存は、熱湯でサッと茹でてから塩漬けにする。

モダシでダシを採ったお吸い物が定番。大根おろしとの和え物や鍋も良い。山形県では納豆汁に用いることから生、塩蔵ともに人気が高い。

 

ブナハリタケ|山毛欅針茸 カノカ

大鳥では”カノカ”、もしくは”ブナカノカ”と呼ばれるキノコ。白く、扇形をしていて、折り重なるように生えるので、一本から数十キロ採れることも珍しくない。主にブナの枯れ来に発生し、傘の下面に針がビッシリと生えていることから”ブナハリタケ”の名がついたと言われる。

岡村稔久著の『日本人ときのこ』では江戸末期に東北を旅して紀行文を書いた菅江真澄の『遊覧記』について紹介し、そこでブナハリタケに関する記述に触れている。

「(青森県十和田周辺では)倒れた木や立木の朽ちたモノに鹿皮茸、剥き茸にまじってツキヨダケが生えていた。これは毒の多いきのこであろう。」

※鹿皮茸=ブナハリタケのことで、カノカワタケと読む。

「秋田湯沢では人家にキノコが沢山干してあった。はきもたせ(ホウキタケ)、舞茸、貫打(エゾハリタケ)、しいたけ、ししたけ、しめじ、なめらこ(なめこ)、まかね(キシメジ)、むきたけ、かぬか(ブナハリタケ)、さもたせ(ならたけ)など。それを汁の実とし、おかずにもする。また、漬けてすしにしたり、香物として朝夕の食前に出したりしている。」

9月~10月初旬、ブナの枯れ木や倒木に群生する。ブナ林帯のキノコの中では特に香りが強いので、少し離れた山道を歩いていても気が付く。採取は素手でむしり採ると早いが、ナイフで一つ一つ切り取れば木屑などが付きにくく、後処理に困らない。水分を多く含むので、ビニール袋に入れたらギュッと水を絞って軽くし、袋に隙間が出来ないように圧縮して口を結び、持ち帰る。ブナハリタケは繊維質で丈夫なので型崩れしない。石づきは少し硬いのでハサミなどで切り落とし、30分ほど水に浸して虫や木屑を浮かせ、洗い流す。保存する場合、沸騰したお湯でサッと茹でる。その後に塩漬けにするか、水分を絞って冷凍する。

香りが強いと感じる場合は、一度茹でこぼしてから使うと良い。お吸い物、煮物、油炒め、和え物、天ぷら、炊き込みご飯などで食べる。

■参考文献

きのこの呼び名事典 写真でわかる』 大作晃一

日本人ときのこ (ヤマケイ新書)』岡村稔久

 

■参考URL

ヒラタケ|平茸 ワケェ

大鳥では”ワケェ”と呼ばれるキノコ。5月頃~雪が積もる12月頃まで毎月のように出るので”ツキワケェ”とも呼ばれる。傘の形がへん平状、またはヘラ状に開くことから平茸の名が付いたと言われる。

岡村稔久著の『日本人ときのこ』によると、史上ヒラタケの初出は平安中期。”今昔物語集”に集録されている「比叡山の横川の僧が茸にあたって誦経すること」という説話では、汁物とするのに味噌とカヤの油を使っていたそう。その他、味噌のつけ焼きや、味噌とゴマ油を使った炒め物をしていたという説話も収められている。歌謡集『梁塵秘抄(1169年頃)』では、修行する聖のため、比叡山の北にある比良山地から採れる食材を紹介した今様歌が詠まれている。内容は以下の通り。

聖の好むもの 比良の山をこそ尋ぬなれ、弟子やりて、松茸・平茸・なめすすき(エノキタケ)、さては池に宿る蓮の這(レンコン)・根芹(セリ)・根ぬなは(ジュンサイ)、牛蒡(ゴボウ)・かうほね(こうほね)・独活(ウド)・わらび・土筆(ツクシ)

江戸時代には、代表的な家庭料理実用書である『料理物語(1643年)』で”平茸 いろいろあるが、汁、煮物、焼いて。”と紹介している。前述した『日本人ときのこ』では、幾つかの文献を通じて料理法を紹介している。『和漢精進料理抄(1697年)』では料理法ごとに茸の月別献立が載っており、汁:12月 ヒラタケ(とダイコン)刺身:11月ヒラタケ(とクリ・ショウガなど)といった形で、ヒラタケは汁と刺身で調理されていたことがわかる。その他、家庭料理本の『素人庖丁』では”水で良く洗い、ほどよく切って小串に刺し、コショウかサンショウの醤油でつけ焼きにする。”と、ヒラタケの付け焼きレシピが紹介されている。また、この時代にはヒラタケは乾燥保存もされ、手に入らない時期に精進料理や懐石料理に出されていた、とある。

江戸後期に東北を旅した菅江真澄残した『遊覧記』の中では”秋田のとある町で売られている物にはヒラタケ、ネマガリタケ、あけびの若芽がある”と記述され、その時代には庶民も口にするものであったことがわかる。

英名ではオイスターマッシュルームと言われ、ヨーロッパのブナ帯地域でも日本と同じように年中、特に夏の終わりから冬までに採取される。ヨーロッパで自生する山菜や茸、木の実などの生態とレシピを紹介している『WILD FOOD』では、パセリ、イラタケ、ニンニク、塩コショウをソテーし、フォンティーナチーズを加えてオーブン焼きする調理や、provencale(トマト、にんにく、オリーブオイルで作るソース)を使った調理法が紹介されている。

大鳥では積雪のない5月~11月頃まで広葉樹、特にブナの枯れ木や倒木、切り株に、重なり合うようにして出る。幼菌で見つけても、3日もすれば食べられるほどに成長する。大鳥では原木栽培も行われている。形が崩れないよう素手で根元から採取し、テンゴや袋に入れる。持ち帰ったら水に30分ほど浸して付着した虫や落ち葉、木屑、土を浮かし、洗い流す。石づきは少し硬いのでハサミで切り取る。

風味が良いのでダシを取り、お吸い物にするのが大鳥では一般的。炒め物、鍋物にも合う。産直などでは乾燥したヒラタケも売られているが、大鳥では、茹でた後に塩漬けか、冷凍保存。冷凍の場合は自然解凍して使用する。

■参考文献

きのこの呼び名事典 写真でわかる』 大作晃一

日本人ときのこ (ヤマケイ新書)』岡村稔久

菅江真澄遊覧記 (1) (東洋文庫 (54))』平凡社 菅江真澄 内田武志、宮本常一

教育社新書<原本現代訳>131 料理物語』平野雅章

WILD FOOD』Phillips Roger

ナメコ|滑子

日本固有のキノコである滑子。自然発生地は主に東北の日本海側の山地など、ブナ林帯に分布している。名の由来は全体が粘膜に覆われ、ぬるっとしていることから滑らっこ”が転訛したと言われる。

岡村稔久著の「日本人ときのこ」では、江戸後期に東北を旅した菅江真澄の遊覧記でナメコに関する記述がある。

(秋田湯沢では)人家にキノコが沢山干してあった。はきもたせ(ホウキタケ)、舞茸、貫打(エゾハリタケ)、しいたけ、ししたけ、しめじ、なめらこ(なめこ)、まかね(キシメジ)、むきたけ、かぬか(ブナハリタケ)、さもたせ(ならたけ)など。それを汁の実とし、おかずにもする。また、漬けてすしにしたり、香物として朝夕の食前に出したりしている」

ナメコは天然ものを採集し、食す時代が長く続いたが、昭和に入ると大鳥でナメコの栽培の試みが始まる。昭和5年(1930)にはナメコの人工栽培が計画された。とはいえ、刈り倒したブナの老木を林の中に積み重ねるだけか、天然ナメコをすり潰して水と混ぜ、それを原木に塗りつけてナメコが出るの待つというものでだった。その栽培法が上手くいったかはわからないが、昭和7年(1932)の産物報告では寿岡集落の三浦長七が始めたキノコの瓶詰めの生産量が152箱となっている。この頃には既にキノコを栽培・加工し、販売する試みが始まっていた。

その後、昭和17年(1942年)に当時学生だった森喜作(のちに森産業株式会社の創始者)が種駒によるシイタケの原木栽培方を発明、ナメコにも応用された。現在では大鳥でも森式、河村式などの種駒を原木に植え付けて発菌を待つ、原木栽培が行われている。

ナメコは紅葉に入る10月中旬頃から雪を被る12月頃まで、ブナなどの広葉樹の倒木や枯れ木、切り株から出る。採取はナイフで根元から切ると木屑が付きにくく、キレイに取れる。ビニール袋に入れて持ち帰る。

原木栽培の場合は、春先にブナ等を伐り倒して3尺程度(約90㎝)に玉切りし、林の中など日影に重ならないよう並べて置く。農作業も落ち着いた7月頃になるとホダ木にドリルで穴をあけ、種駒菌を植え付けて待つ。豊凶はあるが、植え付けた翌年秋から出るようになり、5年程度は同じ木から出続ける。

採取したナメコは綺麗なシートの上に広げ、虫喰われやサイズの選別をしながら一つ一つ石づきをハサミで切る。大鳥ではナメコを粒、中開き(一般的な原木ナメコ)、開きの3種に分け、粒はナマス等で食すのに向き、開きはお汁に向いています。石づきを取ったらナメコに付着した木屑などを浮かせるために30分ほど水に浸し、洗い流す。すぐに食べる場合は冷蔵庫で保管し、一週間以内に食べる。ナメコは水で洗うと鮮度が落ちが早まるので、生の状態を送る場合は木屑が付いたまま送る。塩蔵する場合は沸騰したお湯でサッと茹で、樽に入れて塩漬けに。最近では冷凍保存もするが、使用する際は冷凍したまま沸騰したお湯に入れる。そうすると型崩れしない。

特有の滑りとコリコリとした食感がある。お味噌汁やうどんや蕎麦にも入れるのが定番。大根おろし和え、醤油を垂らしてご飯と一緒に食べるのもおススメ。

■参考文献

きのこの呼び名事典 写真でわかる』 大作晃一

日本人ときのこ (ヤマケイ新書)』岡村稔久

『朝日村史』朝日村教育委員会

マイタケ|舞茸 メェタケ

大鳥では訛って”メェタケ”と呼ばれ、「出る木は親子でも教えるな」と言われるほど大鳥では貴重とされる。山に住む猿はイタズラしてゴソゴソと舞茸をいじくるが、食べる事はしないという。幼菌の舞茸を見つけると”シバタテ”といってその木に発見者の家印の木を立てていた。これは発見者に採取する権利があることを意味し、このムラの決まりは昔は守られていた。

語源は”見つけた人が喜びのあまり舞って踊る”から舞茸という説や、”柄が分かれ、ヒダが扇型の傘を付けている様子が、袖をひるがえして舞う人の姿に似ている”から舞茸という名がついたという説もある。

岡村稔久著の「日本人ときのこ」によると、平安時代の今昔物語には、舞茸の由来とも取れる話がおさめられている。内容は大よそ以下のようなもの。

京に住む木こり数人が北山に入ったところ、道に迷ってしまった。そこへ、山の奥から舞い踊りながら尼が4~5人現れ、木こりたちに近づいてくる。恐ろしくなって「尼さんたちは何者ですか?どうして舞い踊りながら来たのですか?」と聞くと、「私たちはしかじかの所に住む尼です。花を摘んで仏様にお供えしようと思って一緒に北山に入ると、迷ってしまいました。その際に茸を見つけ、あたるかもしれないと案じながらも、あまりに空腹だったので焼いて食べました。ところがとてもおいしかくかった。満足して食べると、身体が自然に舞い踊るようになったのです。自分でも不思議です。」と。それを聞いて驚いた木こりたちも、腹を空かせていたので尼さんの食べ残りを貰って食べると、木こりたちもまた自然に踊り出した。しばらく踊っている内に酔いが醒めたようになり、どこを歩いたかわからぬままそれぞれの家についた。それ以来、このキノコをマイタケと言う。

本書の中では症状から考えるに、食べたのは”オオワライダケ”なのでは?と菌類学者の川村清一は述べているが、オオワライタケは苦味があり、食べて旨いキノコとは言えない、とある。

また、同書では1832年に坂本浩然が描いた『菌譜』についても触れられている。この本は食菌50種、毒茸・芝類50種余りを図説しているもので、舞茸についても紹介されている。

マイタケ 状、大小一ツナラズ。ソノ形、宛トシテ(あたかも)舞人ノ如シ。故ニ名ツク。或イハ云ウ、熊此ノ菌ヲ見テ舞イ、能(よ)ク好ンデコレヲ食ウ。味甘ク平。毒ナシ。種類多シ。痔ヲ患(うれ)ウル人食スレバ校アリ。

舞茸は9月上旬~下旬頃まで、ミズナラやクリの大木の地際に生える。大鳥のベテランは、山を回りながら舞茸の出そうな木を何本もチェックしておき、シーズンになると効率よく山を回って舞茸の出生を確かめる。「舞茸の出る木の場所は実の息子でも教えるな。」と言われるほどで、他人から出る木を教わることがまずない。とにかく自らの足で稼いで山の情報を集め、探し当てるしかない貴重な茸。

採取は、素手やナイフを使って形が崩れないよう丁寧に採る。採った舞茸はテンゴに入れるが、持ち帰る時は注意が必要。テンゴの中で舞茸が揺れたり、押されたりすると崩れるので、柴やツル、枝葉を使ってテンゴを包み、動かないようにして持ち帰る。この技術を大鳥の人は”柴ぐるみ”という。多いときは一本の木から40~50kgもの舞茸が採れることもあり、その場合は一度では持ち帰れないので山に隠しておいて、また背負いにくる。

天然の舞茸は香りがとても強く、上品。栽培の舞茸とは香りが全然違う。天ぷらやお吸い物、炊き込みご飯。その他、すき焼きやバター炒め、パスタの具材、中華のあんかけの具材など。和洋中、何にでも使える。保存する場合は乾燥か塩蔵。

■参考文献

日本人ときのこ (ヤマケイ新書)』 岡村稔久

大鳥の輪郭』 田口比呂貴

『朝日村史下』朝日村教育委員会

トンビマイタケ|鳶舞茸 トビタケ

大鳥で”トビタケ”と言われるトンビマイタケは、ヘラ型の傘で茶褐色、裏は白色。傘の色が鳶色に似ていることがその名の由来。図鑑では可食とも、食用注意ともされる茸ですが、大鳥では昔から食べられています。8月のお盆から9月上旬頃まで、ブナの立ち枯れの根元などに発生し、茸シーズンが始まりを知らせてくれる茸。「トビタケ採ったか?」という話が大鳥のあちらこちらから聞こえてくる。

大鳥のベテランは事前に山を歩き、出そうな木々を見て回る。シーズンになるとその木々を巡って探す。トンビマイタケは一枚一枚の傘が大きく、成長すると黒く、固くなってしまうので若いうちに採取する。採取は素手で根元から取り、土や落ち葉を払ってすみやかに袋にいれる。手で触れたり、物に接触すると徐々に黒く変色するが、味に問題はない。ちなみに、大鳥の人は山で腐ったトンビマイタケを見かけたら採って捨てる。そうすると来年も同じ木から採れるかもしれないが、捨てないと2年後、3年後と発生が遅れてしまうんだとか。

クリーミーな香りがする茸。肉厚で硬めの食感なのでサキイカのように細かく裂いたり、刻んだりして調理します。炒め物や天ぷらが定番。天ぷらをする場合は醤油・砂糖で下味をつけてから天ぷら粉をつけて揚げるとおいしい。

炒め物の残りを冷蔵庫で保管していたもの。冷蔵庫に入れていると“白い汁のようなもの”が出ますが、問題なく食べられます。