芸術は原点回帰のために|嶋尾和夫さん
詩人、彫刻家でありながら大鳥音楽祭も手掛ける大鳥在住の嶋尾和夫さん。普段から僕の呑み友達であり、話が深くいこうとしすぎて迷走しがちな他愛もない話ではありますが、あとで見返しても面白いのでたまに記事にしてみています。あくまで酒呑みの会話ですので、悪しからず…。
今年の大鳥音楽祭は11月3日(金・祝)に開催。みなみなさま、ぜひ遊びにきてくださいませ!
写真:三浦一喜 聞き手:田口比呂貴 2023年7月15日
絵の描き手も増えた中で、その中で生き残って食べていく。それが精いっぱいなわけよ。そりゃそうだよね。笑 でも、時代を切り開く人はそれとは違う。精いっぱいなんだけど、そんなことはバッハにとっては簡単なことなの。バッハのクラシック。1000年経っても一つの古典音楽なんかを誰もがそれを演奏する。べートーヴェンもそうだし。今、誰かいるの?そういう人。
―1000年の重みに敵う人はいないんでしょうけど…。重みが違いすぎる。
それはなぜかというと、精いっぱいやって音楽をやる人が増えたから。ある意味では、景気はいいかもしれないけど、芸術としては退廃期。切り開いてないから。次の時代を作ろうとしてないから。次の時代の人間に、人生を示してないから。
バッハとか宮沢賢治になると、賞の評価じゃないわけ。他人の評価で決まるものではないわけ。天才は自分のことを一番よく知っている。そうじゃなきゃできないよ。生前に宮沢賢治のこと知っていた人ってどれくらいいた?生前は一冊しか本出してないよね。ほとんどの人は読んでないし。その中で高村光太郎とか草野心平とか、同じ時代の詩人が「あいつはスゴイ。」って評価している人はいたけど。一番評価できていたのは賢治自身。賞とか時代の評論家とか団体とか、あるいは売れたとか、ベストセラーとか。それが果たして百年後まで続くのかっていう評価じゃないわけ。宮沢賢治は今もベストセラーだよ。そこで生きている同じ絵描きが評価したんだよっていうけど、俺の作品が100年後まで生きるっていうことを確信できたのは宮沢賢治だけよ。
―本人はそう思ってた?
思ってた。だからいつも言ってた。いや、ペラペラしゃべらないよ、そんなことは。
―自ら出版しなかったものを、死後に誰かが掘り起こしてくれるだろうってことまで考えたってことかな?
でもやっぱり、同時代でも評価する人はいたから、絶対にそれはなんとかしようとするよね。
―今出てきている芸術家たちが、現代の評価で間に合わないって人がいるかもしれないってことですかね。
そろそろ出そうだね。だって、こういう芸術商売の時代だからさ。経済が繁栄するのに比例して芸術も比例するわけじゃないわけよ。社会が進歩して経済も上向きの時に得てして芸術は退廃するわけ。だって、生きる基盤が満たされているから。それで心が疎かになるからね。ほんと、芸術って心とか精神の世界をどうするかってことだからね。それが弱まってくれば芸術の出番。だからこれから出番だと思うよ。
―第三次世界大戦…ですかね。今は百年前より戦争の数は少ないだろうし、死んでいる人もパーセンテージでみれば少ないでしょうけど。
いや、戦後のね。あちこちの地域紛争あるじゃない。第二次世界大戦で死んだ数より多いんだよ。
―そうなんですね。統計を見ないとわからないですけど、70~80年前の総人口に対してどのくらいの割合が亡くなったのか?っていうのがあるので。
イコールとは言えないかもね。でもその数を越えるくらい地域戦争で死んでるってこと。まぁほんと、行き詰まってる。なんでみんなさ、戦争してるもの同士を裁判に掛けないのかな。ロシアもウクライナも両方人殺しを毎日やってるじゃんね。それで小田急の事件はさ、列車の中で通り魔みたいに。一人殺したら懲役19年なんて判決…。
―最近そういうテロが多いですね。
昔から戦争で人殺すと英雄になるしね。
-大義がありますからね。国を守る過程の中で人を殺すけど、それをハッキリ言わない大義が。
そうだね。そこがおかしいよね。みんな騙されてる。アメリカだって正統派みたいなことを言ってるけど、戦後どのくらいベトナム人やパレスチナを殺してきたか。
―結局、所有権があるからそうなるんでしょうね。自分のモノにしたいという欲が出て、話し合いで解決できないから戦争になるじゃないですか。クリミア半島もロシアの領土と主張して、話し合いで「ウクライナさん、うちの領土にしてくれない?」って言っても絶対にしてくれないじゃないですか。「なんで欲しいの?」って思う気持ちもそうだし、それを自分のものにするために戦争しかけるのもそうだし。でも、所有権がなくなったら、「ここは嶋尾さん家です。」って主張しても、ヨソの人がいきなり来てジャカジャカモノを移動させて「今日から僕の家です。」ってなっても仕方がないっていう世界。だから難しいですよね。
それは許されないよね。
―うん。それを被害者は侵略と言うけど、加害者からすればここは僕の土地だって正当な理由を付けて言うわけですよね。所有権だけではダメなんでしょうね。昔と比べて失ったものがあると思うんですよね。ざっくり言えば相手を思いやる気持ちみたいなことなんですけど、そうじゃない何か…。そういう意味では山村の在り方って面白いと思うんですよね。ある人がワラビやぜんまいを採ってたという場所が、高齢とかの理由で採らなくなってから3年とか5年たつと、その人が採らないんだなってことを周りの人が知って。権利がなくなるというか、その人が採ってた場所の権利を放棄したとみなして他の人が採って良いという風になるというか。
あるね。僕もそういうところ行ってる。えー、ここ誰も採らないんだって。
―使わなくなってある程度時間が経つと権利が移ってもいいようになるというか。その人はまだ生きてるけど行かなくなったから、「採りに行っていいか?」って聞いて「いいよ。」ってなればいくと。筋を通しながらもそういう形は面白いと思いますけどね。
そうなってくるとさ。ジョン・レノンが唄ったように、「国家なんてないと思ってごらん、財産なんてないと思ってごらん。」っていう。あまりにも財産で争っているし、国家で戦争しているし。だからそんなことないと思ってごらん。みんながみんな今日を生きている。っていう原始共産主義みたいな唄を歌ったんだけど。
―『imagine』、あれに心を惹かれた人はたくさんいますよね。
原点だよね。「あれは甘い!」って言う人はいるけど。でも、本当はみんなそれを言いたいのにさ。「現実的じゃない。」って自分を抑えて言わないだけでね。でもジョン・レノンが唄にしてそれを言うっていうのは、凄く勇気がいることだよね。
―そういう力なんでしょうね。芸術は。
そうそう。さぁ、そろそろ芸術の天才が出てくる時代が近づいてきたよ。人間の暮らしの原点に戻ろうとしていることが、革命ってことなの。別に新しいことしてるわけじゃないの。根源から始まって進歩してると思ってさ、モノ作ったりお金集めたりして社会を作ってるけど、根源から遠ざかってるだけなの。その時に偉大な天才が根源に戻すわけよ。登ってる時間が退廃期で、根源に戻ってる時代が芸術のルネッサンスの時代。人間も芸術も根源に戻る。人間ってこういうところから出発してきたってことを21世紀に発見できなければいけない。滅びるか、再生するか。この頃、滅びの形を想像しているんだけど。
―ヤバイ趣味ですね。デスマーチが頭の中を駆け巡っているのか。笑
人類は猿の惑星じゃないけど誰か残るだろう。人類が全部滅ぶなんて、そこまで愚かじゃないだろうって。滅ぶって考えたのはね。昔の人たちで、いないってことはないと思うけど、相当の絶望的な人間。持って生まれた厭世主義。あとやっぱりね。人間って変な動物でさ、死にたい欲望があるやつっているんだよ。それは動物にはほとんどないかもね。動物が自殺する時は集団で、増えすぎて。本能的に数を減らすっていうか。もうこの種は生きていけないってなると集団自殺っていう形をとる。
―動物で集団自殺するんですか?共食いとかじゃなくて?
まず共食いがあるかもね。それも一種の自然だしね。結局生き残るための種の保存のもう一つの負の部分だよね。種の保存って生かすばっかりじゃないわけよね。増えすぎたら調整しなきゃ。人間は戦争でやったのかどうか。だとしたら戦争はなくならないね。
―そうですね。根源的にあるんでしょうね。何かと闘いたいというか。相手が人間じゃなくて動物かもしれないし、草花かもしれないけど。人間はおもしろい生き物ですよね。
それで、文学とか美術って美や善、真理を求める。そういうものじゃないんだけど、美徳とかが勝つじゃん。勝つっていったらおかしいけど。人間は両方持ってんだけど、どっちを採るかっていう戦いだよね。ヒットラーが出たりムッソリーニが出たり天皇が出たりしたけれど、世界がそれを許さなかった。結局、ナチスに対して共産主義も資本主義も手を結んで。神を信じる人も信じない人も手を結んでまずファシズムを潰す。「これだけは!」って。そういう同盟もできるわけよ。あれは本能としか思えない。だって主義じゃないんだもの。主義なんて弱いもんよ。
―似たようなことがあちこちにありますね。
人間って、ヒットラーとかファシズムを潰したんだから美徳の生き物かなっていうと、最終的には美徳なの。でも、それを覆した文学者がいるよ。マルキド・サド。サディストの語源ね。彼は『悪徳の栄え』って小説を書いてさ。僕が考えたのは、あれはフロイトの影響が大きいわけ。無意識の。精神は分析すると2つの人間の根源的な欲望に集約されるって。食欲と性欲。これは生物の種の保存のやつだけど、『悪徳の栄え』は食欲と性欲を栄えさせて生きていくっていうか。それで、性欲をドンドン駆り立てていくと、相手に鞭を打ったりして。それでしか感じられなくなる。最後は相手を殺すわけ。そういうのを繰り返していくと悪徳が栄えるって彼が書いた。
―現実にそういうこともあったんでしょうね。愛し過ぎて殺したっていうか。
そうやって悪徳を栄えさせると、権力を取らなきゃいけなくなるわけよ。俺以外は自由に殺せる、自由に使える。俺の欲望のためにお前はこうしろああしろって。それを楽しむために人間をこういう死に方をさせればもっと刺激的だって。どんどんそういう風に。筋金入りなのは、彼は人生の中で20数年間、獄中暮らしをしている。
―本物ですね。どうして捕まったんだろう。小説書くのは自由じゃないですか。
どんな世界でもさ、風俗乱すとか…。そうなると捕まえる大義がね。「こんなやつはすぐ獄中行きだ!」って。
―けれど、それを面白がって読む人たちがいたってことですよね。
ドフトエスキーも隠れて読んでたって。シャルル・ボードレールも。文学界のそうそうたる人たちが隠れて読んだくらい。
―そういう意味では現代は良い子ちゃんが多いかもしれませんね。悪徳の本はなかなかメディアは取り上げないだろうし。
そうだね。これからサドの時代だ!笑 人間って一面的な動物じゃないからさ。悪徳ばっかり繰り返し、過剰なほどやると飽きてしまうわけよ。ところが主人公は飽きないわけよ。
―主人公っていうか、サドでしょ。天才ですね。変態かもしれないけど。
そう、それを変態と呼ばなきゃ生きていけなくなる。彼も選ばれた人間だったのかも。マルキ・ド・サドの“ド”っていうのは貴族の称号なの。
―日本にもありますね。徳川家でも社長でも原住民でも。冠がない社会はないんじゃないですか。縄文時代は知らないですが、卑弥呼の時代からは大王ですからね。社会を作ろうと思ったらまぬがれないでしょうね。でも、僕が庄内が面白いと思うところが、上に立つ人がえらくないって感じがするんですよ。
あぐらかいてるからかな?
―いや、違う。これは今の時代だからなのかもしれない。労働者を無下にして経営出来ないっていうのを庄内では凄く感じます。民衆の力が発揮された大山騒動とか三方国替えとか、多少は民族性っぽいものがあるかもしれないけど、下からの突き上げがある割には上から押さえつけが弱いというか。だから上の人ほど下に示していかなきゃいけないっていうか。偉そうにあぐらをかけない。かいてると人が離れていくっていうか。転職する人いっぱいいるんですよね。そういうこともあんのかなーって。
ソフトバンクの孫さんとかユニクロの柳井さんとか、一応彼ら成功してさ。トヨタも世界一とかってそういう風に。それは一つの欲望だよね。世界一になるって。大した事ないけど大したことあるっていうか。だけども、彼らがじゃあ世界を変える力かっていうと…。僕はさ、アメリカが世界一っていうならアメリカがまず核兵器バンバン捨てなきゃダメだね。ロシアが喜ぼうが中国が喜ぼうが、核兵器は誰のためでもない。人類のためにゼロにしていく。それができないじゃん。だから変えられないわけよ。次の時代を。次の時代を変えるやつはまず一番最大の無駄。使えば地球が何回も滅びるものをまず捨てようってことができるかどうか。それを出来るやつは次の時代を開けると思うよ。
―嶋尾さんからみて、経済以外の指標で「この国が世界一」っていうのはありますか?というか世界一を決める大会そのものが愚かなような気もしますけど。ユネスコとか世界の国々集まる場で、経済的な格差があるから発言力も違うんでしょうけど。ある程度平等に集まる会合であれば、小さくても大きくても国と言う単位は平等で。世界の遺産を大切にしようっていう活動は良いことだと思うんですけど。古代の文明を守るためにダムに沈む前にダムの上に上げようとか。
そう、あれで世界は一つになったからね。エジプトのところにみんな集まって。あの時は人類の英知がそこに集まって。そういう素晴らしいところも持ってるんだけどね。中々続かない。それがまた人間の永遠の課題だよね。
でも、ブータンっていう国。例えばテレビもないけど幸せだって。テレビも冷蔵庫も車もないけど。あれ、じゃあ僕はブータンに近いのかな?笑
―そうですね。ただ、最近のブータンにはスマホもあるっぽいですけどね。あの指標だと日本は幸福度低いってなってますけど、あれも見方がよくわからないですよね。「毎日幸せですか?」って聞かれて嶋尾さんが「はい、幸せです。」って答えるかどうかも怪しいし、僕は「どっちかっていうと幸せ寄りかもしれない。」みたいな答え方をすると思う。
僕だったらさ。現代では不幸せであることが幸せなんですって言うかもしれない。
―不幸せって何でしょうね。生まれながらにして障害を持ってとか、親がDVとか、そういうことも不幸せに入る気がするんですよね。だから二分するのは無理って話なんでしょうけど。
そうだね。相対でしかないもんね。絶対じゃないもんね。相対的に確かめるしか。
―ただ、タイに行ってみて思いますけど、外歩いているとよく色んな人がお喋りしてたり、会う人会う人愛想がいいというか楽しそうにしている国は、心地いいですけどね。
スペイン人は幸せかな。だって一日終わったらバル行けばいいんだもん。今日楽しいことが最高だよって。
―明日のことを考えずに毎日生きているっていう精神性はうらやましいっていうか、スゴイですね。けど、大鳥にいたらなんとなくそんな感じになりません?僕の場合、先々のことを考えるのはせいぜい1年後くらいまでで。昨日何時に寝たとかあまり覚えてなくて。明日のことは前日の夜に決めて…みたいな生活をしていると記憶が段々薄くなっている気が。それって幸せに近いのかもしれないっていうか。動物に近いのかもしれないっていうか。
前にさ。ある人が僕に言うわけよ。「幸せって一年に一日あればいいのよ。」って。「365日幸せなんて、人間って生き物、動物はそういう風には作られてない。」っていうような言い方を。彼女の追い立ちから考えていけば、親の背中を見ても、遊びがない。毎日働いてやっと生きていかなきゃっていう。でも彼女はそれだけでいいのかって考えて楽しみを作ろうとして。だけども、じゃあ365日幸せだったら人間ってどうなるかって。幸せに満たされてしまったら人間じゃなくなる。1日でもあればそれで良いんだよってことは言ってたね。じゃあ日常は苦しいんだなーって。笑
―二項対立だけじゃなく、グラデーションがあるでしょうけどね。これは日本語だからなのかな。満足と不満とか、不幸と幸せとか。対義語が必ずあるじゃないですか。でも、世界中そうか。
世界中そうだと思うよ。光と影。スペインもそうだよ。でも、それが暗いことって捉えないわけよね、スペイン人は。死が。死ぬことが。ロルカとかスペイン人は、普通スペイン以外だと死が来れば終わるって考え。スペインは違う。死が始まりだって。
―あかるっ!笑
だから闘牛やってる。笑 死ぬってことに生きられる。
―そういう意味ではマタギも面白いんですよ。熊狩りも山菜採りも茸採りも面白いんですよ、そういう意味で。山で死ぬかもしれないという瞬間があるんですよ。だけど行くんですよ。
スペイン人だー、マタギー!