【大泉・朝日 山の人生】 鈴木孝治さん
昔は車もねぇんだし。山歩いて百姓して、爺は炭焼きして。今の池の平を切り開いて炭焼いて杉植えて。親父は百姓専門っていうか。昔、馬橇っていうか、馬飼ってソリ引っ張って。鶴岡から物引っ張ったっていう話だけども。前はオライさは牛いなかったので、まず田んぼでやってたと思う。俺の代なってから耕運機が出てきて。山さ行っても山から稲手刈りして刈ったものは全部背負ってきたんだ。ここさ蔵あったから置いて。あと夜は稲こきとか。子供の頃はそうだっけ。俺はただ稲わらさ上がって遊んでたようだと思う。親とババと、みんなしてやってるんだけども。時代が変わって。まず、台車つけてある程度は持って来るわけだ。道ある所は。山は今みたいに車いく道路ねぇはけ、歩いて行くわけだ。稲刈って、基盤整備したところはでっかくなったけど前はちっちゃい田んぼ。それで歩いて行って休むところあって。そこで昼飯食ったり。杭小屋ってあったわけだ。稲刈って杭立てて、乾いたら全部集めて背負ってくるわけや。焚き物はソリで持って来るわけだ。柴とか。春なると焚き物の上さのって握り飯食ったり。子供の時はそういう思い出ある。
ある程度大きくなってからは学校から来ると川ばっかり行ってたな。ザッコ締め。今で言えばハヤとか、ヤマメとか。いるんだっけ。カジカは見向きもしなかった。春先、大鳥の左京渕の上で仕事した時や。ちっちゃいカジカいっぱいいたっけ。左京渕の上。道路脇ブロックした時や。もうちょっと先いくと川さいく道路あっちぇ。そっから下がってきて川端砂利で道路作って。それで道路脇にブロックしたときや。春先なんだはけちっちゃなカジカ。これは楽しめると思ったけども。水はあんまり。チョロチョロってしたとこさ。
今はハヤもすくねぇし。昔みたいにほりつかなくなったろ。ウグイは西大鳥の松ヶ崎の橋の下もいたけども、今は全然。何十年経ってもつかねぇぜ。ほりつくのは産卵の時期。4月とか5月とか。あと東は前マルミチあったわけだ。川向こうさ。そうすっとあそこ横断するところ。そこさ川ちょっと荒らすんだはけそこさつくんだやな。それを投網で獲るし。イワナは秋にホリつくんだやな。泡滝ダムの下さ、山手のほうさいく沢ひとつあるども、ここさ結構付くあんだ。よくよく水ねぇんだし。イワナなどわずかしか登れねぇから。あそこさ行くと夏、尺以上のものが上がってるなや。手づかみで10何匹取って。よくよく簡単なんや。そこは泡立つような滝でねぇはけ。まず面白いんだっけ。水少ねぇとこさいるわけや。
鉄砲の免許取ったのは昭和53年。25歳の頃か。とにかく若いうちにかかぁもらってから直ぐだから。キッカケは、先輩からウサギ獲り連れていかれて。そこで興味持ってすぐ鉄砲って感じだ。それから段々に昔の会長から行こって言われて。前の会長からめんごがられたんだなぁ。「家さ寄れ、呑もう。」って。
今はあんまりウサギいなくて、困ったぜ。少なくなったのはキツネだと思う。もっとも、獲るのもいっぱいだけども。春、子もったのが全部育たねぇ。キツネが増えて。別のモノが食ってるってことだと思うんだ。わからねぇども。それしか考えられねぇもん。前は野兎病っていう話あったけども。キツネが日中も騒いでウサギのことぼったくってるわけや。キツネとかテンとか。そういうやつをやっつけねぇば。
俺は、今は道路パトロールしてウサギ獲るくらい。寝てる。大鳥だっているはずだ。でも少なくなったはけどうしようもねぇ。ウサギは多い時で1日6羽。昼間前3羽、昼間から3匹。腕良いばもう2匹ずつ足しても良いけども。集落の奥なもんだし。俺はほとんど、ずっと1人ぼったくってきて。ある時、「ウサギの足、血だらけなったっけ。」って言ったども。したら、村の人から笑われたけどもな。凍みた朝にぼっかけていくとウサギだって足、やっぱり傷つくじゃん。その他にも誰か撃ったウサギがや、血も出さねぇでペタって死んでる。たった一発どっかさ入って。ビャンビャンと走って行って。真っ白くてペタって。俺、それ儲けと思って貰って来たどもや。前の日に誰かやったと思う。
ウサギ追ってて、この足跡は追っても当てにならねぇとか、そういうことはあんまり考えねぇ。追いかけて行けばどっかさ寝てる。間違いなく足跡の先さ寝てるって考えで。ただ自分がそこさ行けるか行けないかで判断して辞めるか。若い時はどうだろうが追いかけた。まず、先読んだり。この山に関してはずっと追いかけて行けば下手するとこっち廻って来るなとか。逃げたのがまた寝てたところさ来るはけ。でも、それすぐ来るとまた勘づくはけ。ちょっと時間置いてとか。考えは自分なりに持ったども、中々上手くいかねぇっけ。焦ってしまって。早く獲りてぇって頭で。最初いたとこさ黙っていれればいいども、30分も1時間も待たれねぇって俺は。そんなの諦めるってな。ウサギ一匹獲るのにそんなに待ってられねぇはけ。そういう経験したども、なってもそればっかりではねぇぞ。そん時そん時で違うと思う。あと勉強してやっていくしかねぇな。
眠たくて寝に向かうウサギとそうじゃないので足跡が違うんだ。眠たくないようなのは指を閉じて。眠たくなると手が開く。自分なりの考えでな。ずっとぼっかけてきて。眠たくなると開くはけ、そこら辺ずっと見てるとテン道切るわけ。それ見たって必ず獲れるってわけではねぇども。
まぁ、寝ウサギのほうが取りやすい。俺は腕悪いはけ。フクロウでも飼っておけばいいあんやな。正俊と冬山の道案内した時、川向道歩いてウサギ獲りしたども。「あれ、あの根っこさウサギいたぞ。」って言ったば、「ウソだろや。」って言うけども。何匹獲ったかな。撃つとや。ウサギ来るわけや。俺は一つも当てれねぇしな。ほれ、おっかないの知らねぇはけ。撃つと目の前さ来るども1つも当てられなくて。正俊みなドカンドカンって。あれたまげたけども。あの頃若い頃だはけ、まなぐも良かったなや。
熊は、昔は全然獲れなくて。一回行った時など、背丈以上の雪がヒビ割れている中をくぐって。気持ちわりぃー!あとから「そこまで下がらねぇっていいあんだ。」って言われたけども、知らねぇんだもの。初めてなんだはけ。背丈以上のヒビ切れてて。そこの中くぐって。落ちればあと終わりだ。昔のベントウ、ってか無線機もあったかな。あれが一回目だったかな。無線機買ったの。その後もう一つ買ったっけかな。あと俺も年で。わからねぇ。
俺は蔵治さん辞めてから入ったはけ。蔵治さんも大先生だって話だけども。家さいてみな采配するって話だはけや。ここさいって右さいってこうしろって采配をよ。俺も負けないくらいになったども。『熊はや、俺行くまで獲れなかったなや、何年も。』という話だっけ。俺が行って獲れ始めて。俺のことをあがめっけども、そんなの関係ねぇって。それから結構獲ってたなぁ。
熊獲り始めた頃はずっと勢子。大鳥で勢子してから、与一さんさ付いて歩いて。そこでマエカタも色々させてもらって。与一さんが病気なってからは朝男さんと一緒に回ったども。アドバイスして導いていくのが本当は先立ちだはけや。そんなの最初から覚えた人なんかいねぇって。最初は下手くそだ。そこから山勘とか教えてひとつひとつ慣れていってもらうしかねぇんだはけ。俺は自分なりに与一さくっついて。
与一さんと熊獲り行った時だば、「孝治、あそこでマエカタしてこい。」って。そして行ったば足元さ熊いて。メェカタさ行くまでも熊何匹も見るわけだ。どうしていいか。一発撃てばみな逃げて終わりじゃん。タチマエも行かないうち。困ったじゃん。黙って見てて、それからジワジワとマエカタ平さ行ったども。その判断がどうしたらいいか。容易でねぇ。一匹獲ればいいんだ。タチマエの気持ちわかるし、勢子の気持ちもわかるども、できれば崩さねぇで囲ってタチマエさ全部上げてやることを考えるっちゃ。何も考えねぇで熊いた!って、デンと撃てば終わりだ。それがマエカタの仕事だわけや。脅かせねぇようにして全部をタチマエに上げてやる。
んだはけ、奥山で獲った時も1匹は逃げて行ったけども、もう一匹がシカって動かなくなったなや。そうすると俺の先輩が、「ネズミ穴さ入って出ねぇ。」「あそこさ寝ったはけ」「勢子近づけるから。」って。そしたば同じところをまた上がっていったっけ、2匹。だはけ、経験もあっども、ちゃんと見てればそこで決まるんだやな。その場所でシカったシシが動かねぇわけだ。危険を感じて。絶対に他へ逃げてねぇと思えばや、どっかさシカっているはけ。それを確信持ってやれればいい。
大鳥でマエカタした時はや。タチマエが熊を見てたども、見えなくなって。俺は穴さ入ったと思ったんだな。「絶対に逃げねぇから、いたはけ。」って言って、マエカタから行ってみて。木の根っこさ行ったら穴あっけ。根っこの奥さいたと思って下を覗いたらモコンと来たっけ。それ獲って。義幸がおもしろがってな。熊が寝る穴を覚えているわけじゃねぇけど、熊見えなくなった時、穴かもしんねぇって考えで。そして獲れば、次の熊がいつそこさ入るかわからねぇし。いなくなったはけすぐ別の熊は入ってくれればいいども、それもわからねぇはけ。できれば子育てる穴は残してぇどもな。
マエカタは熊を見つけるのも大事だども、タチマエを動かせるかもマエカタの大事な仕事で。熊のいる場所でタチマエの場所を変えたり。本人が見通し良い場所さ立ってもらって。倉沢と松沢の間の山で常男と二人で獲ったこともあったな。俺マエカタして、常男タチメェさ行って。「そこさ熊行くはけな。待ってろよ。」「そこさ見えたら撃てよ。」って言ってたら、撃ったっけ。常男のライフルの腕があって獲られたようなもんだな。
熊獲りは5-6人いれば何とかなるかもな。下手すると3人でも獲られる。その人数で獲るにはマエカタ。マエカタの考えで。タチマエを熊行く所さ絶対立てる。今はライフルだはけ、とにかく見通しのいいところさ立ってもらって。距離いっぱい撃たれるようなところ。昔は散弾銃だはけ、一の上げ、二の上げ…って場所決まってたけども、必ずしもこだわらなくても。いくらライフルでも熊との距離は200ⅿ、300ⅿには立たせたくねぇけどな。人いねぇばしょうがねぇが。できれば100ⅿ間隔くらいで立ってもらって。散弾銃でも100ⅿは効くはけ。あとマエカタの判断で決めていくしかねぇし。人いねぇば考えて。人いれば、配置を細かくすれば万全だなって俺はやってるども。それでダメだばしょうがねぇと思うな。
勢子がいた場合は静かにホイホイって鳴っていけとか。最初こっち鳴れ、今度こっち鳴れ。今度下鳴れ。ホイホイって熊が人来たなってそーっと動くような感じで追えばいいし。そっからあまり動かねぇば段々におっきく声出せとか。それはマエカタ次第。そこはマエカタがちゃんと伝えてねぇば熊どっちいくかわからねぇじゃん。袋作ってればいいどもな。熊をなるべく静かに動かして。ドンドンと走っていくとタチマエ撃てねぇはけ。熊、動かねぇば勢子、声かけねぇっていいから静かに忍んで撃てばいいし。その判断はマエカタだ。勢子がいなくてもマエカタが鳴る。ある程度鳴りが効く範囲まで下がっておいてホイって鳴る。声の出し方で。左さやる、下から上げる…。ちょっとした向きで変わる。マエカタは考えていろいろしねばねぇ。
まず俺は結構大鳥の人に一緒に付き合ってもらって俺は幸せだと思う。大鳥の熊獲りさいって、まずみんなからめんごがって貰って。ありがてぇっけ。工藤朝男さん、まず面倒みてもらった。あそこさ行くとゲテモノ料理して俺さ食わせて。あれ美味いんだや。あと、悦夫さんの母ちゃん、「孝治、わね来ればもっと熊獲れるんだけどもな。」って言ってもらって。ありがてぇ。
鈴木孝治さん:昭和28年生まれ
聞き取り日:2025年11月1日
文責:田口比呂貴