お知らせ

フィールドに出よう。

7月半ばから9月末に掛けて、関東・中部・北陸・中国地方を旅してきた。旅行というのは気晴らしもあり、新しい出会いもあり、日常では思いもしないことを考える機会になる。元来、日本人は旅が好きなのだと思う。見たことないものをみては「あそこはよかった。ここはよかった。」と、お土産をつまみながら話がしたい人たちなのだと思う。

江戸時代に隆盛したお伊勢参りも、村人たちは何日も掛けて伊勢にいくが、どの宿に泊まったとか、伊勢神宮は神聖な感じがしたとか、山がキツかったとか。そのくらいの柔らかい感想でもってして、でも「人生一度は行った方がいい。」という魔法の言葉を次なる人にかけてやったようだ。誤解を恐れずに言うと『大義のある暇つぶし』だし、そういう意味で言えば僕がやってきたことは『大義のない暇つぶし』に思えてきてならない。ただ知りたい、おもしろそうだ、という気持ちだけで夏~秋にかけて2か月半も仕事をほったらかしにして向かってみるのだから、江戸時代の人たちよりたちが悪いのかもしれない。それに輪をかけて、記憶力が悪いのでほおっておくとすぐに忘れてしまう。

そんな僕にとって、民俗学は大切な学問になっている。旅に出るとあちこち気になる。歩いてみたくなる。城下町に行けば堀や築地、本丸御殿は当然、あれば町人などの屋敷も覗いてみる。集落に行けば家屋や石垣、田畑、水路、お店なんかも見て回る。山肌が削れているところがあったら「山腹崩壊かな?」と思って近づいてみてみたり。人口集約施設になっている工業地帯の帰宅ラッシュを見るのも楽しい。博物館・資料館にいけば必死にメモを取り、その日だけでもわかった風になれる。それに、予想もしない出会いもある。5000円もするひつまぶしを食べたけどそれほどでもなかったり、街道に行けば必ずあるはずの地蔵様が一つもない村があったり、おじいさんから最近聞かれなくなった「最近の若者はイカン!」論を聞かせて貰ったり。前向きでハッピーに暮らしたいと人々は願うものだけど、口から出るのはいい話ばっかりじゃない。それはそれで、いいじゃないか。

民俗学とは『人々の生活が何によって支えられてきたのか』ということを調べることだそうな。ならば、村人の生活・民具だけでなく、歴史も経済も地理も地質も気候も宗教もアートもテクノロジーもコミュニティーも、精神も…。全部が複雑に絡み合う人間の営みを、論じてみよう!ということになるので、「村の生活に限らず興味の赴くままになびいて良いじゃないかー!」って思いつつ、それって人生百年時代になったとしてもヒトが成せる業ではないよね…って。だけど、地質の達人ブラタモリは観てて面白いし、宮本常一の著書を読むたびになんでこんなにも芯を喰った文章が書けるんだろうっていつも思う。憧れです。

今回の旅のまとめはノート3冊となって一通り終わりました。今は、どんな風に記事にしようか思案してみるものの筆が横道にそれて、いつの間にかこんな記事を書いてしまったのではありますが。でも、幾つかは書いてみたいと思っているので、よろしくお願いします。