大鳥のこと

熊狩りの世界 -ツキノワグマを狩る大鳥のマタギたち-

春、カチコチになった残雪が山肌に残る4月。奥山ではツキノワグマが冬眠から目覚め、食べ物を求めて山を歩き回る頃、大鳥の鉄砲ブチは集団で山に入ります。

※鉄砲ブチ:大鳥ではマタギのことを鉄砲ブチいう。

※一般的に山形県では猟期は11月~2月ですが、特別有害捕獲という形で毎年4月上旬~5月上旬まで、捕獲の許可が県から下りている。

大鳥では、村が開かれた1100年頃から熊狩りが行われていた。伊豆から新潟を経由して落ち延びてきた工藤大学が途中、越後城主から借りた米と金の返礼としてカモシカと熊の肝や毛皮を送ったという記録がある。

乾燥させた熊の胆。これで60g程度。

熊は昔からその価値が認められ、特に熊の胆と呼ばれるその胆嚢は万能薬として知られていた。大酒を呑んだ後も熊の胆をほんのちょっと舐めるだけで二日酔いにならない。更には空いた心臓の穴が塞がった…なんて話もある。江戸時代では金1匁(3.75g)と熊の胆が同じ価値を持ち、大きい胆嚢は一粒70万円にもなり、2~3頭も獲れば半年暮らせた時代も割と最近まであった。鞣された毛皮は学校の先生などが欲しがって、大きいものだと10万程度で売れたそう。東日本大震災が起こる前までは熊肉も流通し、大鳥で毎年5月末に行われるタキタロウ祭りでも熊汁として販売していた。現在では毛皮の需要も少なく、熊の胆も薬事法で売買が難しく、肉の流通も放射能の関係で難しくなったが、熊狩りは元々、暮らしの大きな糧になる重要な生業だったのです。

山に入る前に毎年必ず行うのが4月12日の山の神。マタギのリーダーの家に集まって山の神様に祈りを捧げます。「これから熊を獲りに山に入ります。どうか熊を授かれますように。どうか無事に帰って来れますように」と。めいめいに山の神様の掛け軸の前で二礼二拍一礼をし、捧げたお神酒をオゴフとして頂く。

※オゴフ:神様からの頂き物

『今年の雪の溶け具合はどうだろう。熊は出てきただろうか。いつ頃狩りにいこうか。』今年の猟の作戦を立てながら、酔いに任せて熊狩り談義に花が咲く。昔獲った熊のこと、どこの山に熊がいそうかなど。今までに何度も同じ話を繰り返しているように思えるが、飽きないのが不思議。

節の頃合いになれば猟師たちは”見出し”といって双眼鏡をもって山の熊を眺めにいく。そわそわと、ムズムズと。山を眺めながら熊狩りにいきたい気持ちが沁み出している。見出しで熊がいるとなればすぐ連絡がまわって狩りの準備に入るし、毎年必ず出るというクラ場(猟場)には、山の神の時に決めておいた日取りで向かう。鉄砲、弾丸、ナイフ、縄、無線機、杖、タカツメ(アイゼンのようなもの)、腰皮、食糧、ヘッドライト、双眼鏡、袋などを揃えて山へ向かうが、当日集まった人数が6人か12人の場合はかなり気を遣う。6人山、12人山は山の神の怒りに触れて雪崩に遭うという。だから人数が6人の場合は藁人形を作ったり、紙に人の絵を書いてそれを一人とカウントしていた。現在も6人や12人の場合は柴を伐って、それを一人にしたりする。また、山の神は女性だから女性が山に入ると嫉妬する…という理由で女性も熊狩りには参加できなかった。昭和中期まで、村の女性たちは村はずれまで見送りに行くのが通例だった。

山に行くと、二手に分かれて行動する。片方はメェカタと言って、見通しの効く尾根から双眼鏡で熊を見張りながら指示を出す役割が1~3人。もう片方は熊がいる山に行き、麓から熊を追い上げる人(=勢子、鳴り子とも言う)や山の中腹で待つ人(=控え鳴り)熊を撃つ人(=待ち手、ブッパとも言う)に分かれてそれぞれ配置に着く。これは基本の型で、実際はその場の状況でかなり柔軟に変わる。見出しをせずに山へ行く場合は半分ずつくらいに分かれ、川を挟むように両側の山の尾根に登る。見通しのきく尾根で互いの山から熊を探し、熊を見た場所で待ち手もメェカタも決まる、ということもよくある。

※メェカタ:語源は2説。熊がいる前の山にいるから前方(まえかた)というのが訛って

メェカタという説と、無線機がない時代は指示役が舞って指示を出したから舞方(まいかた)という説。

熊を見つけると、巻狩りの準備が始まる。熊を取り囲むために勢子や待ち手が山のどの位置にいたらいいのか、メェカタから細かく具体的な指示がされます。山には沢にも尾根にも斜面にも細かく名前が付いていて、一部”山言葉”も使われる。山一つをエリアにし、壮大なスケールで事が動いていく。待ち手たちは滑落しそうな斜面も、雪渓の上も、雪庇も越えていく。現場で山の地形、雪の残り具合を慎重に確認し、時には遠回りをしながら。途中で熊に気づかれないよう無線はヒソヒソ話で、くしゃみをする時は足元の雪に向かって。移動に一時間を費やすこともありながら、勢子、控え鳴り、待ち手が持ち場に着くと、猟が始まる。

メェカタから「巻くぞー。鳴り子なれーー!!!」と指示が飛ぶと、鳴り子は「ホ―!!ホー!」「ホラー!」「ウリャー!」など大声を出しながら熊を山の上へと追い出す。熊は眼は悪いが耳が良いと言われ、下から音がすると上に逃げる習性がある。「シシ、登っていったぞー。」「もう少しデトさいけ。」「ここを降りればいるのか?」激しく無線が飛び交い、待ち手は少し乱気になって鉄砲をグッと握る。熊が順調に山を登り、待ち手がいる方へと上がってくれれば簡単だけど、中々そうもいかない。鳴り子の声に反応しながらその場でやり過ごす熊もいれば、尾根の中腹から隣の尾根へ移ることもよくある。狩りが始まってから別の場所から違う熊が出てくることもある。気力、体力の限りを尽くして追い、仕留めに向かう。やがて銃声が山中に響くと、静かな暮らしがここにもあったことに気付く。

しばらくして、「ショウブだ。」と耳元で小さく聞こえると荷物を降ろし、雪にお尻をついて「ふー」っと、ようやく一息つく。どんな場所で獲れたのか、熊はどんな動きをしていたのか。思いを巡らせながら喉を潤し、安全に向かえる道筋をメェカタに聞きながら熊のいる場所へと向かう。

※シシ:熊のこと ※デト:手前の意味 ※ショウブ:仕留めたの意味

集まると熊はベロッと横たわり、雪や木に血痕がある。1.2m、80kgはありそうな熊だ。足をロープで縛り、ある程度平らな雪の上へ引きずっていく。最初に手足の大きさと厚みを見て、熊の胆も大きさを計る。厚みがあれば冬眠から覚めて間もないから、捕食もあまりしておらず、熊の胆の大きさに期待が持てる。全体や手足の写真を撮ったらナイフを取り出して解体が始まる。お尻に程近い下腹部の真ん中からグッ、グッっとナイフを入れ、内臓を傷つけないよう顎まで裂いていく。次に肩から手首に向けて一裂き、足の付け根から足首まで一裂きし、裂いた場所から更にナイフを入れ、脂をなるべく毛皮につけないように丁寧に皮を剥いでいく。

皮を剥ぎ終えると、以前は皮の上で胴体の手足をもって、180°ひっくり返していた。頭とお尻が逆さまになったことで、「お前の肉体は完全に死んだ」という事を意味していたんだとか。これもマタギの儀式の一つ。裸になった熊の下腹部から喉元までナイフを入れ、お腹を開く。内臓は胸より上に心臓、肺があり、膜を挟んで胸より下に肝臓、胆嚢、すい臓、胃、腸がある。どの臓器も傷つけないようにして袋に入れる。”熊の胆”になる胆嚢は万能薬で、黄金と同じ価値を持つので特に大事に扱う。胃袋は割いて食べてたモノを確かめ、腸はうんちを絞り出して持ち帰る。内臓をとり出したお腹の底には血が溜まっている。血をマコと言い、以前はこれを飲んでいた。体の弱いお婆さんが飲みたがったらしく、貴重な鉄分補給だったのだろう。それぞれの付け根の関節から腕、脚、頭を外し、更に腕から手を、脚から足を外して、雪上のゴミが付かないようにしてそれぞれ袋に入れる。毛皮もしまう。

「熊が騒いだって無線の話で聞いたはけ隣の尾根まで動いたども、行くまでが切なくて切なくて。やっぱり苦労するもんだな。」「今日は特に風あるんだはけや、無線も途切れ途切れで全然わかんねぇもんな。ビュービューって風の音だけは聞こえるどもや。」「奥側の尾根からちょっと覗いたば熊がバンと走っていくのを見てや。バインってブッてやったんだ。」半日ぶりに再開した面々と熊が獲れた経緯などの話で盛り上がりながら6~7袋に分けられた熊の各部位をそれぞれリュックにしまい、帰路につく。10kg以上もの肉がズッシリと肩に掛かり、雪に足をとられ、時に不安定な斜面を横切って、ようやく小屋に帰る頃には陽が落ちていることも珍しくない。

小屋に帰ると一休みもせずに解体の続きが始まる。雪の上にブルーシートを広げ、その上にダンボールを敷いて、熊の各部位を広げる。ナイフを持ち、腕、脚、胴をそれぞれ肉と骨、脂に細かく切り分けていく。骨は輪切りの木の上に置き、まさかりで割っていく。内臓はその日の晩酌のアテとして細かく切る。手足や頭、毛皮などは分けられないのでその場でセリが始まる。大きさにもよるが手は2,000円とか、頭は1万円とか、毛皮は5,000円とか。集まったお金は次の熊狩りの運転資金に回る。「脂がいっぱいかかってるなぁ」とか、「ここに弾が当たったんやなぁ…」とか、解体は手間が掛かるがビール片手にみんなでやるのが楽しい。細かく分けられた肉、骨、脂は人数割りで平等に重さを計って袋詰めされ、くじ引きで袋を選ぶ順番を決める。こうして分けられた肉は、夜に狐などに食べられないよう小屋の傍の雪の中に埋めておく。

夜は晩餐。クマの脂をひいたフライパンに腸やレバー、心臓を入れ塩コショウで炒めていただく。脳みそは茹でてポン酢に絡ませると白子のような味がする。すい臓は”山の神”とも言われ、かつてはトリキ(=クロモジ)と呼ばれる木の枝に刺して山の神にお供えをし、それをオゴフとして食べていた。が、あまり美味しくないのだとか…。今年も熊が獲れたことに感謝しながら、まぶたが落ちるまで酒盛りが続く。今日はそれぞれどんな動きをしていたのか、熊がどんな動きをしていたのか、昔はどうだったのか、明日はどの山にいこうか、そんな話が延々と続き、次の日のご飯の支度もしながら夜が更けていく。

参考文献:『マタギを追う旅―ブナ林の狩りと生活』著 田口洋美

 

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