シオデ|牛尾菜

語源はアイヌ語ショウオンテがシオデになった説がある。”山のアスパラ”ともいわれるシオデは、その名の通りアスパラに似た味がする。多年草で、比較的明るい林や、伐採後などに点々と生える。標高1,000mあたりでも生える。大鳥では”シゥデ”とか、”ショデコ”と呼ばれる。

春にウグイスの鳴き声を聞くことは「良いことの知らせ」であると言われているのと同じように、シオデも採って耳をかく真似をしながら「いいこと聞くように、悪いこと聞かないように」と唱える春のまじないが東北地方に広く分布しているのだとか。大鳥では聞かない慣習です。

草わらの中で一本、ニョキっと生えたシオデ。群生していることもあれば、ポツンと生えていることもある。

どちらも同じシオデだが、種類が違う。左がシオデで右がタチシオデ。シオデには巻きヒゲがついていて辺りの植物に絡みつく。タチシオデは真っ直ぐ伸び、茎の先端に粒状のつぼみがついています。

アスパラのような立派なシオデ。親指のような立派な太さのシオデを、大鳥では”棒シオデ”と呼ぶ。シオデの中でも一級品とされています。

群生していてもぜんまいやワラビほどは獲れず、まとまった量を確保するのが難しい。採取は5月下旬~6月上旬で、なるべく太いモノをポキッと折れる場所から採る。大鳥では根ごと掘って、自宅の畑や庭に植えて育てたりもしていた。

シオデは茹でてマヨネーズに漬けて食べるもよし。お浸しもよし。胡麻和えなどの和え物もよし。アスパラベーコンのような調理で食べても美味しい。

大鳥流だと、おじいちゃんから聞いたシオデの蒸し焼き。「火たいてどんとくべるわけ。焼くわけだ。シオデをポンポンと追って、フキの葉でくるんで味噌を入れて、焚き火してくべて、そうして食わせるもんだっけ。すんごく美味しいんだ。フキの香りもするし、シオデの香りもするし。フキの葉っぱも燃えないもんだ。青いもんだから。焚き火しろっていったって、そんなにドンドンと燃やすんじゃないんだ。直火であっためるようにしてちょっと焚いて。そしてそれさ焼いて。そしてそれが、マコノコばーちゃんの話、言うもんだっけ。」という。

シオデとフキの葉っぱが採れたらぜひチャレンジしてみたい一品です。

 

■参考文献

採集―ブナ林の恵み (ものと人間の文化史)』赤羽正春

ウド|独活

“ウドの大木”で知られるウド。ウコギ科タラノキ属の多年草です。茎の中はスカスカで、「茎の中が空っぽのこと」を方言でウドと呼ばれることが語源だとか。5月中旬になると雪の消え間から顔を出す。陽あたりの良い、山の斜面、砂利の斜面に生えることが多い。若芽の時は茎に細かく毛が生えている。

20~30cmくらいに伸びた若芽で、なるべく太いモノを土際の根元から手で折ったり、ナイフを入れて採取します。掴まれる柴や木々・枝がない険しい斜面に生えていることもあり、採るのに苦労することもある。毎年同じ場所から採るとウドも細くなっていくので、年々採り場所を変えながら採取したほうが良い。

てんごがいっぱいになる程採れたら、鮮度を保つためにてんごごと沢水に付けておく。採集後にそのまま放置しておくと葉のみずみずしさがなくなってしまう。持ち帰ったウドは旬のうちに食べるか塩漬けにして保管されます。

多少旬が過ぎたウドでも、自宅用には申し分ない。根っこから採ってきて自宅の畑や転作田に植えて育てることもできる。大鳥の人曰く、植えてから三年もすると根が大きくなって、いくつもウドが出てくるが、1つ1つが小さくなるので肥料をあげることもあるそう。

大鳥の人がぜんまい小屋稼業で奥山に一ヶ月も泊まり込みをしていた時代には、ぜんまい採りのついでにウドやウルイを採って山菜汁にしたりもしていた。お盆には精進料理として仏様にお供えする料理のひとつに、ウドの天ぷらもあった。また、ツキノワグマやカモシカもウドを食べるのだとか。

山ウドは独特の香りとエグ味がある。天ぷらにしたり、根に近い茎の部分はけんちん汁に入れたり。炒めもの、皮を剥いて生のままサラダにしても食べられる。汁物にして、そこに酒粕も入れて一緒に食べる。また、一本まるごとバーベキューで焼いても良いし、ホイル焼きにしてバターやマヨネーズ、味噌などに漬けるとホクホク柔らかでとても美味しい。

 

■参考文献

野草の名前秋・冬―和名の由来と見分け方 (山渓名前図鑑)』高橋勝雄

採集―ブナ林の恵み (ものと人間の文化史)』赤羽正春

ぜんまい|銭巻

雪が溶け、山々が緑一色に染まり始める5月頃、東北の山村では玄関前に筵を広げてぜんまいを揉んでいる光景を目にします。山から採ってきたぜんまいは、茹でて天日で干しながら揉んで乾かしていく。そうして出来上がった干しぜんまいは、保存食として使われたり生活の糧となってきました。

いつ頃からぜんまいが生活や生業と結びついたのかは定かではありませんが、江戸時代には既に幕府・藩の献上品になっていたり、商品としての流通が始まっていました。大鳥から5kmほど下ったところに”倉沢”という集落がありますが、ここの古文書には「寛政5年(1793)には田沢・本郷両組大庄屋あてにぜんまいを上納した記録、同年に藩から干しぜんまいを江戸に納めよ」という通達を受けた記録があるそうです。また、元禄8年(1695)刊行の「本朝食鑑」には「ゼンマイは近世食にすること流行す」と書かれ、寛政2年(1790)春には物価引き下げのために値段調べを命じ、乾物では椎茸・ゼンマイ、葛の三品について調べられています。

近代では日清戦争以後の日本海軍の船中保存食として、戦後は冷蔵庫が一般に普及する前までは遠洋漁業の船中食料として重宝されていました。大鳥では40~50年前は新潟県の”ホシモト”という人がぜんまいを大量に買付けに来ていたそうです。その需要を満たすため、奥山に簡易的な小屋を建て、そこで寝泊りしながら一ヶ月に渡って集中的にぜんまいを採っていた。一ヶ月で200kgもの干しぜんまいを作り、販売していたそうです。干した状態で200kgということは、生の状態で約2,000kg。

深く険しい山々に囲まれ、田畑の面積も広く取れなかった大鳥地域でも各時代の需要に合わせてぜんまい採りが盛んに行われていた。現代では奥山の小屋もたたみ、日帰りのみとなりましたが、採ってきたぜんまいは保管され、行事などに使ったり販売したりしています。

ちなみにぜんまいの名の由来は、綿の被った姿を小銭に見立て、渦巻き状であることから”銭巻”となり、それが”ぜんまい”に転化したと言われ、時計のゼンマイは山菜のゼンマイがモデルになったのだとか。

ぜんまいの植生と採り方

ぜんまいは多年草のシダ植物で、”ぜんまい”と”ヤマドリぜんまい”の2種類がある。写真で長く伸び、胞子葉がついたものがヤマドリぜんまいで、大鳥では”男ゼンマイ”と呼ばれる。この胞子葉の部分が固いので、柄の部分だけを食用する地域もあるそうですが、大鳥では食べないので見向きもしない。写真で短く、若芽がついたものが”ぜんまい”で、大鳥では”女ゼンマイ”と呼ばれる。これを積極的に採集します。

5月上旬頃にはぜんまいが出始め、大鳥の人たちは眼の色変えて山へ行く。山の北向きの陽のあたる、割と険しい斜面に群生し、株で男ゼンマイ、女ぜんまいの両方が生えている。丁度良い長さ、太さ、柔らかさの女ぜんまいを、茎がポキっと折れる場所から一本ずつ手前に折り、採集していく。根元から折ると固い部分が残って食べずらいので、根元までは採らない。株で生えるぜんまいは、必ず2~3本残して採取する。こうしないと来年も採れるはずのぜんまいが細くなっていたり、生えなくなってしまう。それでも、毎年同じ場所で採れば徐々に細くなってしまうので、その時はその場所を休ませて別の採り場に行く。ちなみに、細くなったぜんまいがまた太くなるまでは3年は掛かるそうです。

密集して生えている場所を”ぜんまい畑”なんて言い、見つければ我を忘れて採取する。出始めてから1週間もすればすっかり伸びて茎が硬くなってしまい、食用にも商品にもならなくなるのでぜんまい採りは時間との闘い。雪解けの早い手前の山から採集を始め、時期が進むにつれ奥へ奥へと、またはつい最近まで残雪があった場所へと採る場所を変えていき、5月下旬にもなると大よそゼンマイ採りは終える。

ちなみに、ぜんまいを覆っている茶色い綿毛は、雪解けの寒い時期に体を守るためにあるらしく、温かくなったら自然と落ちていく。かつてはこの綿を固めて毬の中に入れたり、繊維が細かいので木綿や真綿をまぜて糸にして被服を織るのに使われた。また、新潟県村上市にある山熊田集落では紡いで糸を採り、和服帯の横糸としてゼンマイ紬(ちゅう)を織られていたそうです。

ぜんまい採り

前述の通り、ぜんまいは山の険しい斜面に生えているので採りに行くまでが一苦労。場所によっては一時間以上も山を歩いてやっと採集場所に着くので、陽が登る頃には登り始め、8時頃には本格的な採集が始める。気温が上がると疲れやすくなるので、午前中が勝負。

ちなみに大鳥の人に限らず鶴岡市や東北でも?狩猟・採集などで山に行くことを「騒ぐ」と言います。山伏の言葉でも使われるそうですが、文字通り「山を駆け廻ること」を言います。ぜんまい採りにいくことも勿論で、家の人には「騒いでくる。」と伝えて出掛ける。

大きいてんごと小さいてんごを背負い、中には朝ごはん、水分、補食などを入れている。大きいてんごは持ち帰り用、小さいてんごは採集用。大きいてんごを腰にぶら下げながら採集すると動きにくいので、小てんご一杯にぜんまいを採ったら大てんごに移し替える…という風にする。その方が効率的かつ大量に採れる。それらてんごを、昔は”バンドリ”と呼ばれる藁で作られた背中当てをつけて背負っていた。バンドリといううのは動物のムササビのことを言い、晩に飛ぶ鳥のようだからとバンドリという地域名が付いたのだとか。そしてムササビが滑空している姿に似ていることから、背中当てもバンドリと呼ばれるようになったのだとか。このバンドリがないと、てんごのヒモが肩や脇に食い込んでしまい、痛くて歩けない。今もバンドリを使う人もいるが、登山などで使われるアルミ製の背負子を使う人も増えている。

急斜面なので石や岩が落ちてくる危険もあり、ヘルメットもする。足元は長靴+アイゼンか、スパイク長靴も悪くないが、大鳥の人はもっぱら地下足袋が多い。足の踏ん張りが効くし、フィットするので山菜採りでもキノコ採りでもよく使われる。

山のあちこちに群生しているぜんまいを効率的に採集するのは意外に難しい。生え方によって、群生している場所によって、どのルートで効率的に集められるかが変わる。斜面を登って、横に移動して下りて…と登り降りを繰り返すこともあれば、目の前のものをとにかくかき集めることもある。

生えているぜんまいを片っ端から取ることは決してせず、太くて柔らかいぜんまいを中心に採取する。そうした選んだ良いぜんまいのことを大鳥では「選りぜんまい」と言います。(ちなみに湿地に生えているぜんまいをヤジぜんまいという。)ぜんまいは一本ずつポキポキと折り、片手に5本ほど持ったら手で若芽の部分と綿をこいて、柄の部分だけをてんごに詰める。若芽は食べないし、綿は今では使われないので、そうして少しでも帰りの荷物を軽くする工面をする。崖のようなところに良いゼンマイが生えていることが結構あって、行くか否か、本当に迷う。そのくらい危険な場所で採集しているし、でも良いゼンマイを見ると本当に採りたくなる。玄人になると、ロープを木に結び、それをつたって崖のぜんまいを採るのだとか。

場所や生え加減にもよるが、大鳥の人だとおおよそ3時間で大てんご一杯、小てんご一杯で少なくとも30kgを背負って山を下り、遅くとも昼過ぎには家へ帰ってくる。

帰って荷物を降ろしたら休む間もなくぜんまいを茹で、乾燥作業が始まる。

ぜんまいの乾燥作業

採ってきたぜんまいは袋やカゴに入れて水切りができる状態にし、沸騰したドラム缶などに入れて茹でる。目安として80℃になったらぜんまいを入れて、90℃になったら揚げる。ぜんまいの頭が曲がるくらいになれば良いのだとか。が、「沸騰したドラム缶に一分くらい浸して上げる」という人もいて、個人によって茹で加減の基準が様々である。

茹で上がったぜんまいは、ゴザや筵の上に広げて天日干し。2~3時間に一度は手で揉まないと水分がよく飛ばず、また乾燥した際にポキポキと折れてしまう。「良いゼンマイは揉み手の腕」と言われるほどに揉み方一つでぜんまいの良し悪しが決まる、重要な作業です。

ぜんまいを束ねて団子を作り、ゴザに押し付けるようにギュッギュッと力を入れて揉む。

揉んだら再びゴザや筵に広げ、2~3時間したらまた揉む。その作業を日が暮れるまで繰り返す。

天日干しすると1日程度で赤っぽくなる。乾燥が進むにつれが徐々に黒く、硬くなり、3日目ともなれば揉まずにひっくり返すだけという作業になる。乾燥が仕上がるには晴れの日で丸3日間かかり、容量は元の1/10程度になっている。曇ったり雨が降れば干せないので、小屋にしまっておく。囲炉裏があった時代は、飴の火は囲炉裏の上の火棚に乾燥中のゼンマイを載せて乾かしていたそうだ。

30年ほど前から大鳥でもぜんまい専用の自動乾燥機が導入され、一度に100kgを数時間で乾燥できるようになった。手作業に比べて数段と効率が上がるので機械乾燥をする人もいますが、今でも大鳥に手揉み乾燥の文化が残っているのは、仕上がり具合や味わいがやっぱり違うからだそうです。

塩ゆで、再乾燥、足切り作業

乾燥させたぜんまいは、6月下旬の雨季に入る前にさっと塩茹でをし、一日ほど天日で乾燥させる。そうすることで夏に虫がつかなくなるそうです。最後に、硬いところや見栄えの悪いところをハサミで一本一本、切る作業を行います。

足切り作業が終わったぜんまいは、袋詰めにして保管しておきます。良く乾燥されたぜんまいは3年以上保存が効くとも言われますが、大鳥の人たちの場合は親戚や知人に送ったり、行事等で自家消費したり、販売したりで一年で大よそ掃けてしまうそう。

採集、乾燥、足切りと、多くの手間をかけて出来上がる大鳥の乾燥ぜんまい。余所からも「大鳥のぜんまいは太くて良いぜんまいばっかりだね。」と言われるのも、大鳥に良いぜんまいが生えてくれることだけでなく、良いゼンマイを選んで採り、乾燥、足切りに手間暇かけてきた大鳥の人たちがいるからこそだと思います。

 

■参考文献

『朝日村史』

山菜採りの社会誌―資源利用とテリトリー』池谷和信

月山 山菜の記』芳賀竹志

採集―ブナ林の恵み (ものと人間の文化史)』 赤羽正春

ウワバミソウ|蟒蛇草 赤ミズ

正式名をウワバミソウ(蟒蛇草)と言い、「茎が柔らかくて水分が多いこと」が名前の由来という説もあるが、別名ミズやミズナと呼ばれ、水菜はもともと2年草の壬生菜のことで、訛ってミズナとなった。その水菜のミズをつけたのだろうという推測もある。他にも、蛇を水の象徴とし、「大蛇の出そうなところに生えているから」という説があるが、どれが本当かはわからない。蟒蛇(うわばみ)というのは大蛇を意味するのだとか。

根っこの部分が赤いことから、大鳥では赤ミズと呼ばれています。

6月下~7月上旬にミズが盛りを迎えると山菜シーズンの終わりを感じさせるが、自家消費用であれば9月頃まで食べられる。ミズの息は長い。日が当たらず湿り気のある沢沿いや、沢近くの杉林に生えている。高さ30~60㎝にもなるイラクサ科の多年草。手で引っぱると根っ子ごと簡単に抜けてしまうので、”たたき”などで使用する時以外では根が抜けないよう気を付けながら茎を折って採取します。

採集後は近くの沢水に浸しておくと傷みが少ない。「毎年取ってるところはぬるめきがあってうめぇ。太いのは毎年とって、細いのは置いて育てんなや。みんな取ってしまうと数年はダメになる。」と地元の人から貴重な山の経験知を教えてもらった。

左が赤ミズ。右が青ミズ。根っこの色が違う。

左が赤ミズの葉。右が青ミズ(ヤマトキホコリ)の葉。形が微妙に違う。

ミズは皮の繊維が硬いので、採集したら葉を取り、茎の皮を剥く。葉は天ぷらで食べる地域もあるそうですが、大鳥では食べる慣習はない。シャキシャキした歯ごたえと、ヌメリのあるミズは、お汁やお浸しが大鳥の定番。根はヌメリが特に多く、タタキにして食べられる。お盆の精進料理としてミズ汁が出されたり、戦中・戦後の食料難時代には糧飯の材料に使われていた。

まt、お盆過ぎ~初秋になるとミズは節に実をつける。これを”ミズの実”とか”ミズタマ”と言い、生のまま塩をふりかけるだけ(ミズの実の塩こくり)で、良い山のおつまみになる。

 

■参考文献

野草の名前秋・冬―和名の由来と見分け方 (山渓名前図鑑)』高橋勝雄

採集―ブナ林の恵み (ものと人間の文化史)』 赤羽正春

イタドリ|虎杖 ドンゴイ

イタドリ(虎杖)は、江戸時代中期の和訓栞という書物では、傷薬になる”痛みとり”が語源とされ、民間療法でも傷薬にされていた。イタドリの若葉を手で揉んで傷口に当てると血が止まり、痛みが取れるとか。大鳥を含め、山形県ではドンゴイと呼ばれる。宮城県ではスカンポと呼ばれる。タデ科の多年草。

イタドリについて江戸時代後期に米沢藩が飢饉対策で作成した”かてもの”という本の復刻版 読下し本には、「茎の太く、葉の大なるをどうぐひという。よくゆびき麦か米かに炊合てかて物とす。但し、妊婦は食べるべからず。」とあるが、大鳥で”妊婦はイタドリを食べない”という話は聞いたことが無い。

イタドリの新芽。下処理しないで食べるのは新芽くらいのもの。ぬるめきがあって天ぷらにすると美味しい。

5月中旬頃のイタドリ。50cm程度に伸びたイタドリを、ポコポコと根の近くから折り、葉の部分はこいてその場に捨てる。道端に大量に生えているので、てんごがいっぱいになったら軽トラの荷台に積んだコンテナに詰め変えて、再び採取する。

ツキノワグマは生で食べるそうですが、酸味が強いので人がそのまま食べるには向かない。が、茎には水分が多く含まれているので、大鳥の人(70代、80代の人ら)が子供の頃は喉が乾いたらイタドリの茎をチューチュー吸っていたそうです。

採集が終われば皮むき。一本一本、皮を剥いていく。その後塩漬け。樽にイタドリ、塩を入れて重石をして倉庫に保管。ちょくちょく様子を見ながら、樽に青い汁が出てきたらイタドリが隠れるほどに米ぬかを入れ、重石を載せて保管。米ぬかをいれるとイタドリが柔らかくなりすぎず、コリコリした触感になる。お盆の頃には酸味も抜けて美味しく食べられるようになる。

水で戻した(塩出しした)イタドリは油炒めで食べるのが大鳥では定番。「おらほ(大鳥)のドンゴイは、下のほう(街場・平場)のドンゴイよりやっこい(柔らかい)。下の方のドンゴイは繊維が多くてかてぇ(硬い)なや。」と言われるだけあって、確かに大鳥のイタドリは食感が柔らかくて食べやすい。メンマのような食感と味わい。パスタの具材も良いし、白和えなんかも合う。
道路に覆いかぶさるように沿道に生える初夏のイタドリ。この頃になるとボーボーと伸び、竹のように硬くなって食べられない。茎にナイフを入れて伐ると、中から白い虫が…。これは大鳥では”ドンゴイ虫”といって、渓流釣りなどで岩魚などの魚を釣る餌にしたそうです。

ちなみに、同じイタドリでも茎が赤いものは大鳥では「スカンポ」と呼ばれます。食べられないことはないですが、積極的には採取しない。しかし、高知県ではこの赤いイタドリも利用するそうです。皮を剥いて食べやすいサイズに切り、それを塩揉みしたら下処理完了。また、アイヌでは緑色の茎のイタドリは塩漬けにして保存。赤い茎は囲炉裏で茎を葉にくるんで灰の中で焼いて、食べるものだったそう。

 

■参考文献

野草の名前秋・冬―和名の由来と見分け方 (山渓名前図鑑)』高橋勝雄

採集―ブナ林の恵み (ものと人間の文化史)』 赤羽正春

『かてもの<復刻版 読下し本>』米沢藩

リュウキンカ|立金花 冬菜

春一番の山菜といえば、フキノトウを上げられることが多いですが、それよりも早く春の訪れを告げる山菜がリュウキンカ(立金花)。キンポウゲ科の多年草で、立は茎が立ち上がる性質を、金花は黄色の花を意味しているそう。大鳥ではフユナ(冬菜)と呼ばれています。

雪解けした道端の水路や沢のへりなど割と日当たりが良いところに株のようになって幾つも黄色い花を咲かせる。4月上旬~中旬頃、若芽を折って採取する。茎の内側は空洞なので簡単に折れる。

アクが強めなので、苦味が好きな人向けの山菜。大鳥ではあまり食べる人がいない。食べすぎると下痢を起こすこともあるのだとか。ちなみに、春の冬眠から目覚めたツキノワグマは、アクの強いフユナや水芭蕉を食べてわざと下痢をおこし、お尻の穴に詰めていた松脂などのツッケー(つっかえ)をとるそうです。

時期が過ぎたフユナ。

フユナのお浸し。3~4センチに切り、さっと茹でて水で冷やしたのち、絞って水気を少し取り、醤油を垂らす。シャキシャキとした食感で、ほろ苦さが口に残る。卵とじもおススメ。

 

■参考文献

山渓名前図鑑 野草の名前 春―和名の由来と見分け方 (山溪名前図鑑)』高橋勝雄 山と渓谷社