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鳥獣の屠殺は、いつから身近じゃなくなった?

動物を絞める行為、いわゆる”屠殺(とさつ)”というのは今から100年ほど前に、特定の人たちが、衛生管理がされた場所(屠殺場)で行わなければならないと法律で決められました。以来、食肉として流通させる牛・馬・豚などの家畜は自分たちで屠殺することができなくなっていくのですが、それ以前はバンバン解体していたのかというと、そうでもなかったようです。

”すき焼き”が流行する江戸時代末期までは仏教思想で家畜の殺生や肉食を禁じていたし、牛や馬は農家にとって家族のように大切な存在だったので、庶民が牛や馬を食べることは基本的にはなかった。ただし、猟師は各藩から特別な許可で貸与された銃や槍を使って、田畑を荒らす猪や鹿、馬を襲う狼、毛皮や胆嚢に価値がある熊などを狩ることができたようです。明治になってからも戦争需要でウサギやテンの毛皮がバカ売れしたり、戦後も座敷の敷き皮なんかで熊の毛皮が売れていました。僻地に赴任した学校の先生がよく買っていたそうです。獣の毛皮や肉、胆嚢が売れなくなったのも30年ほど前までの話で、それまでは狩猟も流通を前提といた生業だったんですね。

いっぽう牛・馬はというと、高度経済成長を迎える1960年頃までは、どこの農家でも当たり前のように牛馬の小屋があり、家畜として飼っていました。もちろん、食べるためではなく働いてもらうために。大鳥では特に牛が多かったのですが、元気なうちは田おこしや荷物の運搬で働いてもらい、年を取った牛や、子牛は馬喰(ばくろう)という仲買人に売って生計の一部にしていました。が、1960年代になると耕運機が普及し、牛馬は徐々に使われなくなっていった。牛馬はやがて大きな牧場で大量に飼われるようになり、飼料を食べてまるまる太った牛や豚は、屠殺場(今では”食肉センター”と呼ばれます)へ出荷。そこで屠殺・解体されたものが小分けにパック詰めされ、スーパーに並んでいます。

家畜は家畜、狩猟は狩猟で別々の歴史を歩んできて、でも結局屠殺や解体に立ちあえるのは食肉センターの人か猟師。これでは屠殺も解体も身近なモノではなくなってしまうような…。考えてみれば川では岩魚は釣れるし、沢カニも獲れる。鶏も自宅用であれば許可なく屠殺・解体できる。なんなら狩猟法を守ればパチンコでもカモ狩りができる。当てるのは至難の技ですが…。身近にも絞める、仕留めるチャンスはありながら、肉に限ってはその機会に巡り合うことはほとんど無い。解体すれば良いってものでもないですが、普段食べているお肉がどこからきて、どうやって食べれるようになるのかを一度体験しておくのもよい気がします。

参考文献:『人と動物の日本史3』屠場の社会/社会の屠場 桜井 厚

『現代民俗誌の地平2 権力』第一章 狩猟・市場経済・国家ー帝国戦時体制下における軍部の毛皮市場介入 田口洋美

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【告知 12月3日(日)】大鳥自然の家で、カモを解体する体験イベントを行います。

本来であれば昨年に第一回目を迎えるはずだったカモを解体するイベント。残念ながら鳥インフルエンザが流行 …