大鳥のこと

彫刻家/詩作家 嶋尾和夫さん。vol.1 ―異文化とのクロスオーバーが日本の芸術を昇華させてきた、というお話。―

大鳥に移住して20年以上が経ったという嶋尾和夫さん。福岡県で生まれ、高校生からは東京で過ごしてきたが、大学生の時に遭遇した学生運動の雰囲気の中で、「自分とは何か…。」ということを強く意識するようになったそうです。大学にいる意義を見出せなくなって中退し、コーヒー屋や町工場で働きながら詩作活動を続けてきた。この頃から数多くの文学・映画・美術作品に触れ、四十歳を過ぎた頃に奈良の仏像彫刻を見て彫刻家を志し、現在のアトリエである山形県鶴岡市大鳥地域へと移住。年に数回、個展を開催する傍ら、地域の農作業や屋根の雪下ろしを手伝っている。

本記事の内容は、嶋尾さんの知識・経験からくる哲学的な意見の数々に凝縮しているが、実際の会話は、お風呂場でキャッキャとはしゃぐ親子のように弾んでいました。インタビューしたのは2018年5月10日、6月3日、6月13日。

- 聞き手:田口 比呂貴    写真提供:三浦一喜

異文化クロスオーバーが日本芸術を昇華させてきた、というお話。

―現代のアート展っていうのはどうなんですか?美術は美術館で観るものだ、っていうのがイメージがまずあって。ここ5~10年くらいは地域空間にアート作品を並べようというのが瀬戸内あたりから凄く流行りだして。今は全国どこでもやってる。展示の在り方が変わったっていうことなんですかね?

金回りが良くなって、国もそうだし、これからは心の時代とか文化の時代だって言い出したわけよ。もう三十年前のことだね。経済成長して、「これからは…」って。自治体もお金余ってたからさ、アートイベントやったり。あれも10年くらい続いた。けど経済が停滞して、バブルがはじけて。そこで殆どなくなったわけよ。財政再建しなきゃいけないから。何を削るかっていったらそういうところから。全国、猫も杓子も。日本人てさ、じゃあこの人が生まれたところだから名前を使って、公募展やりましょうとか。

 

―そんな流れがあったんですね。経済面と深くリンクしていたってこと?

自治体が買って、この通りに並べたり、地域の生活空間に美術を置いたりとか。東京すごかったよね。都庁のまわりに彫刻が並んだりとかね。あと、ゆかりのある人の作品を全部買って、駅から何とか通りまでその人のを並べてみたり。そういうの関係なしにコツコツやってきた美術展とかは今も残ってるよね。新聞社が戦後からずっとやってきたとかね。

なんかね、美術館に美術を見に行くっていうのと、今度は公募展っていう形でね。日本って美術団体がすごく多い。外国と比べたらちょっと異常じゃないかなって思うくらい。そこでは全国からの公募もやってて、若い人がプロの道に進む支えにもなっているね。公募展でグランプリを獲るとここに入選しましたって略歴にかけるじゃん。

 

― 作品そのものの魅力とは別に、箔がついたことによって興味をもって見に来る人も出てきますよね。

なんていうのかな。ちゃんと自分の好きな絵とかを見に行く人もいるけども。フランスの印象派展っていうのやるとさ、必ずってほど大当たりする。笑 セザンヌとかゴッホとかね。本当にわかってんのかなって。好きだから観にいくんだろうけど。

それにこれだけ美術展毎年やってるからね。描き手も増えたし、見る側も増えたよ。だからどの公募展いっても油絵があるね。まず、日本では明治の人が油絵を使い始めるわけじゃん。パリ行って、国から人間からヨーロッパに追いつけって感じでね。中国から学んでいた時とはまた違う。それまではずっと中国、中国で学んできては自分たちで凄いモノを作ってきたわけよ。中国でお茶ができたけれど日本になったら茶道になってしまった。

 

―室町時代に日本文化が昇華しましたよね。

すごいわけ、日本人は。新しいモノは作れないけれど何か持ってきたら本場より凄いモノを作ってしまうっていう。そこまでやるのっていうくらいの。お茶は薬用とか飲んでて楽しいだけでいいじゃないって中国人はそれで終わったんだけど、日本人はそれで終わらない。芸術にまでしてしまう。

だから油絵を手に入れたらさ、やっぱりすごいモノ描いてしまうわけよ。んで、大正の佐伯祐三って天才的な画家が本場のパリに行って街角を描いて。それが良いの描いてくるわけよ。でも日本に帰ってくると風景も街並みも違うじゃない。描けないわけよ、ギャップでね。日本の風景をどう油絵にしたらいいかわからない。

 

―日本とパリで何が違ったんですかね?

結局、まだ本人が消化しきれない部分があったんじゃない?油絵を使って描くって言う事に対して。じゃあなんでヨーロッパで描けたのか。油絵自体がそこからしか生まれなかった材料で、ヨーロッパ人もその風景や人物を描いてるわけよ。宗教画から始まって何百年かけて作ってきて。んで、日本人がポッといってその風景を自分なりに描いてね。良いの描いてるのね。んで、帰ってきて風景も違うだろうし。それで描けない。それでまた悩んで、パリに行って死んでしまうわけよ。

 

それで今思うのはね、今の全国公募展とか見に行くじゃん。んで、佐伯祐三があれだけ描けなかった日本の風景を、今の画家は油絵で描いちゃってるわけ。しかもよく描いてるわけ。「佐伯祐三越えたな!」って。それだけ日本人は油絵って材料を自分のものにしちゃったわけ、この100年で。名も知られてない、絵描きだよ。でも確かに腕は良い。そのくらい実力がある人なら佐伯祐三を越えてるわけ。

段々とそういうのを辿りながら日本人が道具を自分のものにしていった。ジャズもそうよ。礒見さんの前の時代を聴くとすぐわかるもん。「あれ!これ日本人でしょ!」って。真似してるからか、まだ自分のものになってないわけよ。だって、真似して弾くのが精いっぱいだろうからね。ただ、ジャズはすごく柔軟性があって吸収力あるから、最初は黒人霊歌から始まったけど、いろんな音楽取り入れてボサノバとかブラジルの音楽とか。いろいろ取り上げてジャズは即興演奏がどんどん膨らんでなんでもやっていけるから。だからこそ芸術として生き延びていると思うんだよね。

 

―黒川能(鶴岡市櫛引地域の伝統芸能)とは真逆の存在なわけですね。超グローバルなジャズがある一方で、超ローカルな能があって。両方が混合している世界っていうか。

あー、ほんと。型じゃないよね。それが同時に現代存在して、動いてるってことだから。前に音楽でもクロスオーバーって、ジャズみたいなロックのリズム取り入れたりっていうのがあるよね。今だって津軽三味線とか世界的になって。即興演奏だから。フラメンコも即興演奏でジャズのフェスティバルなんかに出るしね。伝統の音楽でありながら現代の音楽でも通用できる。でも、やっぱりそれぞれの心を失っちゃダメだよね。民族の心っていうか。

 

―ホントよく固有のものが生まれてきましたよね、神楽でもなんでも。最初は隣村のモノマネかもしれないけど、そのうち自分たちの村のモノにして、隣村と違うものになっていって。根っこは仏教とか神道であっても、有象無象に若干の違いが出てくるっていう。

だから今あるものキリスト教もさ、本当のキリスト教ってどれって。キリストさんはもう死んでるわけだから。ブッタもいなし、マホメットもいないし。そこから違う人が受け継いだり、作っていくもんだから。その意味じゃ元と違わないとおかしいしね。次の人が何を受けついでいくかっていう。真髄はそれぞれに考えながら受け継がなきゃいけないし、受け渡さなきゃいけないっていう。

 

― 嶋尾さんが尊敬している今井繁三郎さん(鶴岡の油絵画家)もそういうのは意識していたんですか?

今井先生の残した文章があるし、先生とも何回かは話したんだけど、やっぱり時代は違うなって思ったよ。ていうのはね、油絵を佐伯祐三の時代から日本人が描き続けた歴史は50年以上ある。そこで次、油絵を担おうっていう人間は意識が違うよね。佐伯祐三と出発点が違うから。もう50年経過してるから西洋人に対してほとんど対等に見れるって。「あいつらおかしいよな!」って言えるわけよ。

 

― 日本人はそれだけ力をつけたってこと?

そうだね、力になってきたんじゃない。日本人が歴史を作ってきたって。だから「あー、おもしろいな」って思った。今のヨーロッパ人もそうだけど「俺もそこで一緒に勝負して描けるぞ」って、そういう気概があるよね。今井先生からも感じる。だから勿論、ピカソすごいなって。目指すものはいつもそれなんだろうけど。

― 幕末や明治初期の激動の時代に、芸術で世の中を切り開こうっていう人はいたんですかね?

油絵を最初に日本人で描いたのは江戸後期にいるよね。向こうのもの見たか何かで。その人はそんな有名ってわけじゃないけども、あの頃は鎖国していて。開国してドーンと向こうのものが来て、まずショックだよね。実はさ、江戸時代の浮世絵がヨーロッパじゃ、「こんなものがあったのか!」って絵描きから画商からみんな集めてたわけよ。日本人は当たり前のモノだと思っていたから弁当箱包んだりしていたわけよ。だから江戸時代の芸術ってスゴイのよ。貴族・武士・町民それぞれの階級が自分たちの芸術を持っていた。そしてそれがものすごい水準なの、歴史社会の中でかつてないほど。江戸時代は庶民の歌舞伎もあったし浮世絵もあったし。それが向こう行くと、ゴッホも目の色変えて、「あれを模写しなきゃ」って。笑

 

―芸術の存在そのものが庶民の日常に溶け込んでいたのかなぁって思いますね。かえって芸術として見てないというか。歌舞伎でも浮世絵でも。楽しいモノって感じで、芸術という認識はなかったんじゃないかな。かえって海外から見て「これは素晴らしい画だ!」って評価されたことで芸術になっていったのかなぁ…って。

自分の国に良いモノを持っているのに明治の日本人は向こうへ飛び付いてしまったわけよ。で、向こうの画ばっかり。それはそのくらいの魅力があったし自分たちの持ってないものだったし。新しい時代がやってきたってみんな感じて、夏目漱石も行ったし。でも、漱石はちゃんと見てたよね。イギリス行ってもそっちの文章一辺倒じゃないもんね。東洋を見直している。もちろん自分の中に小説作法があるわけじゃん。そこに西洋のもちゃんと入れて。人間を書く時や社会を書く時に、やっぱりアジア的な見方とか、決して引けを取ってない。

だからさ、夏目漱石の小説をものすごく評価してる人いるんだよ。ピアニストのグレングールドっていう人がいるんだけどさ。もう本当に天才よ。変態っていったら失礼だけど、演奏家としてあれほどの個性の人はいない。その彼が、僕の好きな小説は漱石の何とかだって。「グレンも読んでたのかー!」って。

 

―でも今の日本って海外よりも美術に対して低くとらえている感じありますよね。なんか。海外のほうが子供の時から美術館にツアーで行ったりとか。美術にたいして知識があるというか。価値が分かるというか。

日本はやっぱり金だもん。そっちが先。今、学校教育で美術が少なくなってる。時間割が減ってる。だからどれだけ必要なものなのかっていうことを本当の意味でわかってない。

 

―信仰から離れていったからっていうのはあるんですかね?芸術と宗教はセットだったし。仏像やらマリア像やらステンドグラスやら、そういう芸術があって、信仰にいくと必ず目に触れる機会があっただろうし。

ヨーロッパでは見えないものを信じてる。神は見えないし。神の愛とか許しとか、見えないでしょ?でも、日本人がやってる宗教ってのは現世利益。「健康でありますように」とか「お金儲けしますように」って、そういう願いっていうか。ヨーロッパは街の中心に必ず協会があるからね。ただ、向こうの人もやっぱり現代に生きてるからさ、信仰心が薄らいできたって悩みはあるみたい。みんな日曜ミサに行かなくなったとか。それはやっぱり時代がそうだからね。経済中心の。

だからいつも問いかけてないと。自分の位置とかさ。もし好きなモノがあったり、それが画だったりしても、最初に「人間にとって画ってなんなんだろう?」って。そういうことを問いかけていないと、ただ喰うことになる…。ただそれだけで喰っていけることも大変なことだけどね。お金が絡むと大変なことになるよね。

 

vol.2  ―人間としての多様性と、生物としての多様性、というお話。― に続く。