大鳥のこと

『大鳥池の成因に就て-1928年 安齋徹』要約版

前回、明治40年に中村熈静氏が大鳥池の地形について書いた論文を紹介したことに続けて、山形大学で地質学教官をしていた安齋徹氏が1928年(昭和3年)に書いた『大鳥池の成因に就て』という論文を要約してみた。安齋氏は大正15年と昭和2年の調査で“大鳥池が山体崩壊によって成立した堰き止め湖”ということを突き止め、本論文にまとめています。この後、昭和9年に人工的な制水門が現在の赤川土地改良区によって設置されて大鳥でも近代的な治水が始まりますが、その予備調査的な位置付けだったと思われる。営林署が歩き道を開削したりと少しずつ便利になり始めた頃ではあったろうが、深山幽谷で、下手に訪ねると大雨洪水が起こる等災いがあるとして地元の人たちもあまり近づかなかったであろう時代に自らの足で本格的な調査を行い、現代も地域住民が語るる学説を残されたことは非常に価値があることだと思います。いつかそのうち、大鳥池に何泊かして池周辺の地形や石を調べに行ってみたい。

※自分の頭を整理するために要約したので、箇条書きで端的に表現したり、大鳥池の地理的条件など基礎的な情報、微生物の調査や深度別水温調査のデータ等はカットしています。
※原文を元に要約しているので、標高や水深など、現在のデータと異なる部分がありますので予めご了承下さい。
※要約しすぎてかえって意味が分かりづらい時は遠慮なく教えてください。原文が気になる方は以下出典元リンクからご覧ください。
※使用している画像は全て下記論文から引用

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①安齋氏以前の研究

陥没成因と推断。論拠:湖の北東隅に一大断層がある。断層部=排水口付近。そこには河床一面角礫を含んだ白色粘土が露出し、川岸は岩塊が覆う
⇒安齋氏「著しく目立ったのだろう。」

更に、排水口の右岸一部は崩壊し、その露頭に含角礫粘土層が見られる。
⇒安齋氏「粗粒状花崗岩の地帯でこんな特殊地質が見られるのは断層基因と考えて当然。」 

②大鳥池の地理

・大鳥池=海抜963mに水面あり。赤川の上支流、大鳥川の水源地となっている。
・位置:以東岳~北走する茶畑山&戸立山等の支脈と、以東岳~西走する化穴山の支脈で包囲された圏谷の底にある。
・大鳥部落から池まで6里強。増水すれば交通不可だが、昭和2年営林署が林道敷設、通行可能になった。

③池周辺の地形

・以東岳(1771m)と大鳥池(963m)の標高差は808m。主に粗粒花崗岩で構成されている。
・池に注ぐ4つの沢について
〇東沢:以東岳&北走支脈の水を集め、湖岸近くでは広い堆積地を形成。
〇中の沢&西の沢:双方とも西走支脈の水を集め湖の南岸に注ぐ→南岸一帯に堆積地が発達。
〇ミスマ沢:湖の北西隅に注ぐ⇒北岸一体に堆積地。
〇排水口:北東隅に開く。湖岸北は丘陵「千米山」に閉ざされる。
・湖畔は周回不可だった。北岸~西岸の崖腹を伝って南岸の水辺を渡り、東沢河口に通れるのみ。⇒昭和2年夏に営林署が林道開削し、東岸の急崖を伝って湖が周回可能になった。
・西岸:約30°の急傾斜。東岸or一部を除く他一般:25°。
・南岸の西の沢&中の沢の間の湖岸に沖積地が発達。東沢は河口付近に沖積地。
・これら沖積地:湖面に封して周囲の山脚は急角度。
・湖水に集注する受水区域は平面積6,890㎡。湖面積の13倍強。
・冬季の積雪量極多、8月も湖畔に残雪。⇒池の圏谷区域は流水より積雪の機械的削剥による地形変化が著しいだろう。⇒「池の成因を雪蝕に求めるのも当然だろう。」

④湖盆の実測

画像:『大鳥池の成因に就て 安齋徹』の第二図に追記

・実測値:湖岸線延長3,535m、湖水面積=0.525㎢
・湖盆の最大深度=65.8m。65m深度線は広域に分布&平坦な湖底を形成。東西の両岸:自然地形の傾斜をなして60m深度線に。北岸:緩傾斜をなして60mに達する。南岸:50m線から極めて緩傾斜。
・湖底が平坦になっている。←堆積物の量が多いから。
⇒最大降水量の地域においても包囲する山嶺から岩屑が運搬⇒砂礫は河口付近に沈積。しかし、湖心近くは細泥が沈殿している。測深採泥機によって樹葉等を含む黒色軟泥を採取済。
・一般的に60m線までの斜底上には砂質の物質が堆積するので泥土があるのは稀。湖心底部は有機質泥土の堆積多い。
・湖岸の崖脚部に僅かに湖棚が形成されるが、発達は極めて悪い。
・大鳥川源流流域の地形=一般花崗岩地に発達する峡谷状。
〇湖水北部は水面上39mの最大高距を有する千米山に閉ざされている。
〇排水口流路は極端に転曲している。
〇千米山の南側:湖に面して極緩斜面。北側:急斜面&断崖で大鳥峡谷の南岸を形成。

・排水口流路=池の北東隅から東に開いて千米山を過半部包囲した後、北西へ流れている。
⇒①東流して200m強は河床の傾斜が緩い②東から西流する瀧の沢を受けて流れが変わる&浸食力増で河床が急傾斜へ。=距離約100mにして七つ滝の大断崖へ。
・七つ滝=瀑布が連続七か所。戸立沢が本流に注ぐ箇所を基準に、
 基準より下流:河床の傾斜緩やかなため岩塊の堆積が見られる。
基準より上流(=排水路側):両岸絶壁。断崖高さ30m~50mと超急速な下刻作用地形。
・七段の瀑布地域は水平距離≒400m、垂直高距≒200m、最高落差≒30mの滝有り。瀑布退行で峡谷が発達。鍋穴の残存している箇所もある。
・大瀑布があるので大鳥池は長期間陸封=池に特殊な魚類の発達を促しているだろう。

⑤湖盆一帯の地質&構造

・湖盆一帯の地質=朝日山塊を構成している花崗岩族。
①粗粒状黒雲母花崗岩:大鳥湖周囲一帯にわたって発達した花崗岩。東沢と中の沢との間、大鳥崎南北一帯、時計淵南北一帯は同質。中の沢&西の沢流域も大差なし。
②中粒状黒雲母or両雲母花崗岩:粗粒花崗岩に対し明瞭に区別できるもので、細粒状の部分も見られ、一般に不均質な組織を成す。特徴:節理に富む。露出:滝の沢より以北、滝の沢地域の両岸一帯、北山沢の下流まで全て。
③粗粒状花崗岩の集塊岩:大鳥池成因に関わる地質。
分布:千米山を中心に排水口付近より湖の北岸室石付近の湖底一帯や、三角池方面にわたる。千米山:ブナの大木が繁茂、所々に岩角を露出する外岩石露面はない。
室石より東方湖岸に近い山裾一帯:方一米及び至り敷米の巨塊あり。
根張りの大きな岩盤は見られない。

湖の北側室石付近(=水深が浅く歩ける)の湖底岩盤を調査⇒花崗岩塊が花崗岩の砂土によって粘結された集塊岩だった。
ミスマカラ沢を遡って三角池迄の途中、その流域の浸食崖面に明瞭な集塊構造あり
また、千米山の西部を越えて大鳥沢に下る際は、本流に達するまでの急斜面は殆ど累積された岩塊を踏む。⇒千米山はどこも集塊岩と判定できる材料ばかり。
〇沖積層:湖の北西隅ミスム沢及びミスマカラ沢の西川口付近に広く発達し、湖岸は砂浜を形成。
〇川近く:上流から運搬された岩塊が多く堆積。
〇南西部の西の沢&中の沢の間:広く沖積層が形成。両川口は上流より運ばれた角礫塊を多く堆積し、出水毎に湖岸地形を変化させている。
〇東沢と流域一帯:最も広い沖積地を形成。河口堆積物は西の沢&中の沢と違い、周塊のみ堆積。東沢河口から100m程上流には右岸約5m程の沖積段丘を残し、段丘崖の中頃に層厚1m強の泥炭層あり。これら沖積層は最高部の高距とほぼ等しい=980m等高線。

⑥結論

・ミスマカラ沢&室石付近の湖底等に千米山岩質の集塊岩の露出がある。
・大鳥沢~大鳥本流までの岩塊累積状態=中粒または細粒状の花崗岩。⇒千米山の構成岩石と異なる。
・千米山の北側&瀑布の連続した峡谷の崖頭部付近:表土の崩壊した所々に細粒状基盤花崗岩あり。その上に含角礫粘土層を挟んで千米山構成の粗粒状花崗岩塊が載っている。境界面の状態は排水口付近のものと同様。更に境界面の露出は谷壁に沿って長い距離を追跡出来る。
千米山本体=全く他より崩壊した二次的集塊岩。崩壊滑走に基づきその底部に圧砕作用を起こしたことで含角礫粘土を成生。

<大鳥池の成生&その経過の推察>

①東沢・中の沢・西の沢などの渓流は花崗岩山地を刻んで深谷を作り、湖心部において合流していた。
②北北西の谷底を流れ、大鳥沢の西部より現在の大鳥本流と同一流向をとっていた。
ある時、左岸の三角池方面の高地から粗粒状花崗岩の大崩壊が起こり、先端部は滝の沢に至り堰堤となった。
堰止湖成生当時の湖水水面は現在より高く、990m等高線に及んでいたかもしれない。
当時は千米山の東西南部が殆ど等高だった⇒千米山と大鳥沢の双方から排水した形跡あり。
④大鳥沢は湖水溢流で生じた:1.滝ノ沢の水量は常時豊富⇒2.千米山の東端を侵食&小滝沢をあわせて浸食作用進む⇒3.湖水の排水路を誘導した。
※千米山の集塊岩を侵食して流路が西へ、とも考えられるが、瀑布地域の花崗岩は節理に富むので浸食が早かったのだろう。
湖畔に発達した沖積層=水面が現在より高かった時代の三角州がその後順次発達したもので、東沢流域の泥炭層は湖岸に流入した植物質が炭化した。湿地性植物が堆積・炭化したものではない。

大鳥のこと

『大鳥池 - 1908年 地学雑誌, 20 巻 12 号 P856-858 中村熈静』現代語訳

明治40年(1908年)9月に大鳥池の地形を調査した中村熈静という方の論文を現代語訳…というほどハー …