大鳥のこと

『大鳥湖行日記』(文化8年 1808年)現代語訳版

1800年代初頭、ロシアの南下政策によって日本のあちこちで国防が叫ばれ始めた時代。庄内藩では大鳥池に探検に行った人がいた。鶴岡市郷土資料館に所蔵されている『大鳥湖行日記』がその記録である。誰が行ったのか、目的などは文中で触れられていないが、大鳥に関する古文書は中でもよその人が上田沢から大鳥池までを歩いて地名・沢名等を細かく記載した貴重な文書である。現代の地名、沢名と同じところもあれば、異なる箇所もある。興味深かったのは、大鳥池のことを藤ノ池と記載していたり、熊狩場があったこと。藤ノ池に関しては、致道博物館が2018年に刊行した『大泉叢誌絵図』内の“大鳥之池二枚”(江戸中期・後期)も同様に藤ノ池と記載されている。いずれそちらも紹介したいと思います。

※なお、この古文書は歴史ロマン愛好会でいつもお世話になっている佐々木勝夫先生に読み下しして頂いたものを僕が現代語訳したものです。図画と文章がリンクして書かれた紀行文なので、画像に挿入する形で現代語訳を付しています。
※沢の配置が現代と異なっている箇所があるので巻末の解説で補足します。
※朝日村史上巻でも『大鳥湖行日記』について触れているので、興味がある方は参照してみて下さい。

『大鳥湖行日記』(文化8年 1808年)原本の写真 PDF


現代語訳挿入版画像

<補足解説>

・絵図に記された大鳥池までのルートは現在の繁岡集落から泡滝線を通り皿渕沢に一泊。翌日には旧登山道の横松を上がって冷水沢近くから川へ降り、川沿いを上って七ツ滝の手前から山を登って池に辿り着くルートを取った。池に着いてからは魚釣りをしたのちに下山し、皿渕で一泊し、繁岡に帰った。

・大鳥池の幅は10丁程(≒1.1㎞)と聞いていたが、12~13丁(≒1.3~1.4㎞)あるように見えた。

・繁岡から大鳥池までの行程は約20㎞。繁岡から大名池(これがどこかわからない)まで4㎞、大名池から皿渕まで6㎞、皿渕から源太沢まで6㎞、源太沢から大鳥池まで4㎞強とのこと。

・沢/地名の現代比較 ※太字=現代の呼び名 ※??=不明
~東大鳥村から泡滝まで~
ととろ沢⇒トド沢 江かけ沢⇒エガケ沢 矢吹沢⇒矢吹沢 甲明神岩⇒兜岩  猫渕大沢⇒猫渕沢 菅渕⇒菅渕沢 チョウノ沢口⇒チウノ沢 惣名大名⇒?? 小桂木沢⇒小葛城沢 大桂沢⇒大葛城沢 皿渕⇒皿渕沢 八熊嶽⇒八久和岳≠茶畑山のことか? 白糸滝⇒白糸滝 山カツラ⇒?? からし沢⇒?? 黒渕沢⇒黒渕沢

~泡滝から大鳥池まで~
滝ノ上⇒泡滝か? 神ノ又口⇒西俣沢か? 上鍛冶渕⇒??(鍛冶屋敷という地名は別にあるが…) カイラキ渕⇒??  小長沢⇒小長沢 甚六沢⇒甚六沢 丸倉沢⇒?? 地見谷地沢⇒地見谷地沢 道引沢⇒道引沢 小米沢⇒?? 冷水沢⇒冷水沢  源太沢⇒源太沢 ケンカ沢⇒ゲンカ沢か?  ブント渕⇒??  七ツ滝⇒七ツ滝 カヲイキ沢⇒?? ヘビコ沢⇒?? 三ツ沢⇒?? 河くるみ沢⇒コウクルビ沢 藤之池⇒大鳥池 三又ノ池⇒三角池 池の倉⇒以東岳

※全体を通して現代と同じ地名/沢名があるが、現代では使われなくなった名称も数多くある。また、恐らく名称は案内人から聞いて記述したものであるが、聞き間違いもあったかと思われる。八熊嶽などはその一つだろう。

・この絵図では猫渕沢近くと、小葛城沢/大葛城沢の間の山が“熊狩場”と書かれている。

・皿渕沢の奥に砥石があると書かれている。以前紹介した中村熈静の論文『大鳥池(1908年)』にも同様の記述があった。

・藤之池の脇の山が”池の倉”と記載されているが、”倉”は険しい山のことを差す言葉なので、恐らく以東岳のことを差している。