大鳥のこと

繁岡集落 ―はじまりの村。800年以上前に工藤大学が落ち延びてきた地―

旧朝日村の中心地から県道349号線の山道を車で20㎞ほど走らせると大鳥に到り着く。集落に入る手前には荒沢ダムが広がり、ダムが満水になる5月下旬には木々が水面から生えているような風景に出会える。

『繁岡』と書かれた案内標識を見ながらT字路に差し掛かると登山、釣り人ご用達の朝日屋旅館が見える。周辺には民宿青嵐舎、工藤商店、観光施設「タキタロウ館」、キャンプ場があり、春~秋は登山や釣り、キャンプ、観光の人々で賑わう。このあたりは東大鳥川と西大鳥川が落ち合う場所なので”河合”と呼ばれ、河合橋を渡ると寿岡、松ヶ崎集落へと繋がる。

旅館朝日屋から南方へいくと、田んぼや民家、公民館が見えてくる。このあたりまで一帯が繁岡集落で、元は800年以上前に大鳥を創村した”工藤大学”が拠点を置き暮らした場所と言われている。集落には2018年現在で約20軒、40人ほど暮らしているが、そのほとんどが”工藤”姓なのは、先祖が工藤大学だからとか。集落共同墓地には工藤大学のものとされる墓があり、大鳥創村の歴史を感じさせる。

大鳥創村の伝説 -鎌倉時代初頭、山奥に大鳥村を作った工藤大学の物語-

集落の南端、小高い丘には大泉水上神社がある。五穀や水源を守る氏神として闇龗神(くらおがみ)を祀っている。元旦のノサカケ、悪魔祓い、お盆の大例祭、キドユイなど、行事の度に集落の人たちが足を運び、神様に祈りを捧げる。昔は神社の境内、裏山で子供達がよく遊んだそうだ。神社の隣には慶長2年(1597)創建と伝えられる龍雲院という曹洞宗の寺がある。昔から大鳥に暮らす人たちはみな檀家。施餓鬼供養や地蔵講などの行事で檀家さんらが集まり、先祖に祈りを捧げる。もとは誉谷集落の大日堂にあった『大日如来坐像』も、お堂解体の際に移動。現在は龍雲院に安置されている。

集落脇には東大鳥川が流れている。かつては川辺に田んぼや畑が幾つも開墾され、稲や大豆、小豆、蕎麦、ジャガイモ、カブ等が育てられていた。さらに東大鳥川に沿って南へ30分ほど車を走らせると、朝日連峰の登山口である泡滝ダムに繋がる。ここからは大鳥池までは約3時間の登山道。ブナの原生林に囲まれた森の中をひたすら歩いていくと、伝説の巨大魚タキタロウが棲むと言われる大鳥池が見える。この池の水が大鳥川となり、庄内平野を潤す赤川に繋がり、日本海へと流れていく。

※鳥瞰図作:本間かりん

■参考文献

『神社史4』朝日村

角川日本地名大辞典6【プリントオンデマンド版】』角川日本地名大辞典編纂委員会

『民族資料選集 狩猟習俗Ⅰ』文化庁文化財保護部 編

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