山のめぐみ図鑑

マイタケ|舞茸 メェタケ

大鳥では訛って”メェタケ”と呼ばれ、「出る木は親子でも教えるな」と言われるほど大鳥では貴重とされる。山に住む猿はイタズラしてゴソゴソと舞茸をいじくるが、食べる事はしないという。幼菌の舞茸を見つけると”シバタテ”といってその木に発見者の家印の木を立てていた。これは発見者に採取する権利があることを意味し、このムラの決まりは昔は守られていた。

語源は”見つけた人が喜びのあまり舞って踊る”から舞茸という説や、”柄が分かれ、ヒダが扇型の傘を付けている様子が、袖をひるがえして舞う人の姿に似ている”から舞茸という名がついたという説もある。

岡村稔久著の「日本人ときのこ」によると、平安時代の今昔物語には、舞茸の由来とも取れる話がおさめられている。内容は大よそ以下のようなもの。

京に住む木こり数人が北山に入ったところ、道に迷ってしまった。そこへ、山の奥から舞い踊りながら尼が4~5人現れ、木こりたちに近づいてくる。恐ろしくなって「尼さんたちは何者ですか?どうして舞い踊りながら来たのですか?」と聞くと、「私たちはしかじかの所に住む尼です。花を摘んで仏様にお供えしようと思って一緒に北山に入ると、迷ってしまいました。その際に茸を見つけ、あたるかもしれないと案じながらも、あまりに空腹だったので焼いて食べました。ところがとてもおいしかくかった。満足して食べると、身体が自然に舞い踊るようになったのです。自分でも不思議です。」と。それを聞いて驚いた木こりたちも、腹を空かせていたので尼さんの食べ残りを貰って食べると、木こりたちもまた自然に踊り出した。しばらく踊っている内に酔いが醒めたようになり、どこを歩いたかわからぬままそれぞれの家についた。それ以来、このキノコをマイタケと言う。

本書の中では症状から考えるに、食べたのは”オオワライダケ”なのでは?と菌類学者の川村清一は述べているが、オオワライタケは苦味があり、食べて旨いキノコとは言えない、とある。

また、同書では1832年に坂本浩然が描いた『菌譜』についても触れられている。この本は食菌50種、毒茸・芝類50種余りを図説しているもので、舞茸についても紹介されている。

マイタケ 状、大小一ツナラズ。ソノ形、宛トシテ(あたかも)舞人ノ如シ。故ニ名ツク。或イハ云ウ、熊此ノ菌ヲ見テ舞イ、能(よ)ク好ンデコレヲ食ウ。味甘ク平。毒ナシ。種類多シ。痔ヲ患(うれ)ウル人食スレバ校アリ。

舞茸は9月上旬~下旬頃まで、ミズナラやクリの大木の地際に生える。大鳥のベテランは、山を回りながら舞茸の出そうな木を何本もチェックしておき、シーズンになると効率よく山を回って舞茸の出生を確かめる。「舞茸の出る木の場所は実の息子でも教えるな。」と言われるほどで、他人から出る木を教わることがまずない。とにかく自らの足で稼いで山の情報を集め、探し当てるしかない貴重な茸。

採取は、素手やナイフを使って形が崩れないよう丁寧に採る。採った舞茸はテンゴに入れるが、持ち帰る時は注意が必要。テンゴの中で舞茸が揺れたり、押されたりすると崩れるので、柴やツル、枝葉を使ってテンゴを包み、動かないようにして持ち帰る。この技術を大鳥の人は”柴ぐるみ”という。多いときは一本の木から40~50kgもの舞茸が採れることもあり、その場合は一度では持ち帰れないので山に隠しておいて、また背負いにくる。

天然の舞茸は香りがとても強く、上品。栽培の舞茸とは香りが全然違う。天ぷらやお吸い物、炊き込みご飯。その他、すき焼きやバター炒め、パスタの具材、中華のあんかけの具材など。和洋中、何にでも使える。保存する場合は乾燥か塩蔵。

■参考文献

日本人ときのこ (ヤマケイ新書)』 岡村稔久

大鳥の輪郭』 田口比呂貴

『朝日村史下』朝日村教育委員会

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9月上旬~下旬頃まで、ミズナラやクリの大木の地際に群生するのが舞茸。味も香りもとても良く、お金にもな …
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