大鳥のこと

『大鳥池物語 龍神之怒 ー明治19年』現代語訳版

「大鳥池には神様がいてよ。昔はやたらと池に行ったり魚を釣ったりするもんじゃないと言ったもんだ。」なんて話を大鳥でたびたび聞いた。山の奥深くにある大鳥池は山々に囲まれた広大な湖で、早朝には風が吹かず、池が鏡張りとなって空を映し出す。世界中の自然を見られるようになった現代では“神秘”と呼ぶには大げさかもしれないが、かつての大鳥の人たちはそう感じたのではないだろうか。近代になってから探検や登山、測量、水門工事、山小屋の建築などで多くの人々が大鳥池にアクセスすることで、禁忌の感覚は昔語りへと変わっていったのかもしれない。しかし、今なお語られているのは自らも自然の一部だとして暮らす地元の人たちがいるからだろう。心のどこかに神様がいるからだろう。

前回紹介した明治前期の『大鳥紀行』でも、大鳥池にやたらと足を踏み入れると神様が怒って洪水になるからという大鳥村内での申し合わせ事項もあって東田川郡長の親を大鳥池に案内することを拒んだことが触れられていた。村人に畏怖畏敬の念があったのか、盲目的に先祖代々の言い伝えを守ろうとしてきたのか。その真意はわからないが、脈々と言葉が紡がれてきたことは無視できない。

大鳥池の龍神にまつわる話は「旧田沢組大鳥外村創村記」工藤孝蔵 著(明治26年)でも触れられているが、今回紹介したこの『大鳥池物語』もまた、その説話をなぞる1つなのかもしれない。尤も、大鳥池の龍神伝説を伝えているというより、最終的に庄内藩主の威厳を誇示した内容となっているのは解釈が難しいところであるが、大鳥池に龍神がいること、池を汚すことによって龍神が雨嵐をもたらすという話は概ね共通している。自然災害を神の怒りに置き換えて理解するしかないほど人間は自然界で微力だった。今もきっと根本は変わらないが、感覚として現代人がどこまで理解できるのかはわからない。それでも自然界で起こる素晴らしくもあり恐ろしくもある不思議な光景の数々をみて祈りたくなるのはなぜだろうか。

※この古文書は鶴岡市郷土資料館に所蔵されている『大鳥池物語 龍神之怒』の原本を元に、歴史ロマン愛好会の佐々木勝夫先生に読み下しをして頂き、僕が現代語訳をした。
※著者は大鳥から5㎞ほど離れたところにある倉沢集落の伊藤さん、という方。
※文末の赤字はどう訳していいのかわからなかった箇所
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※佐々木先生の読み下し文PDFはこちら

大鳥池物語 

大鳥池で難波・長南、藩主の御威光をもって龍神の怒りをなだめた事。

伝え聞いたことには、元和年中の頃、毎年3月6日には櫛引郡三組の百姓たちが上意を蒙って熊狩りを催し、三日三晩奥山の大鳥池周辺まで狩猟をした。15才から70歳までと定め、勢子頭には難波・長南を先立とし、総勢633人となった。弓・鉄砲・槍・鎌などを持ち、ほら貝を吹いて太鼓を打ち、その他様々な鳴り物をならし、小木大木を打ち叩き、うめき叫んで狩りをした。

多くの熊・猿・狐・狸をはじめとして獣たちは勢子たちの大声に驚き騒ぎ、逃げ回る。あちこちの峰から谷に転び落ち、淵川に追い込まれた熊はいくついたかわからないくらいだ。八尺余り、一丈余りの熊たちもうめき出て、小木かんをものともせず駆け回る有様は、聞いたところによる“富士の巻き狩り”にも似ていて、「これに負けていられない!」と勇み足で進んで狩ること三日三晩と言い、大鳥池の湖岸にまで来た。時期的にも三月上旬のことであるので雪は満々と降り積もっていて、谷と峰の隔てがないくらいに固まり、ただ平地を走るようである。これは良い条件だとしてあちこちへ追い込んで射殺した。数多の獣は敵わないと思っただろう。水の中に飛び込んで跳ねまわる猿、狐、狸らが岸へ上がろうとするところを射たのである。弓、鉄砲、槍先をそろえ、突き殺した。熊、猿の血が流れ込み、清らかな大鳥池の水も赤く染まった。

不思議なことに、沖の真ん中にすり鉢状の雲が一郡出てきた。人々が皆怪しんでいる暇もなく池は溢れかえり、峰も見えなくなり、即座に波風が立ち、雷がとどろき、夥しい大雨が降り、四方が真っ暗の闇と化した。このような所に、雲の中から車輪の如く光る物が2~30飛び交い、雨の中雷が鳴り響いた。身の毛がよだつほど恐ろしく、さすがに大勢の勢子であっても驚き騒いで伏せ沈んだ。重なり伏して、肝っ玉も失ってしまった。頭を上げる者もおらず、木の根や岩にしがみつく他無かったようだった。

しかし、難波・長南の両人は強勢で賢い者たちであり、少しもうろたえることなく、これは龍神の仕業であると思い、勢子の大勢に力強く言い放った。「今更驚くことはない!鉄砲へ弾薬をつけ!弓に矢をそえて持て!われらが声をかけ次第、一度にドッと放て!」とそれぞれに命令すると、勢子らも大声を上げ、支度をした。ある2人が沖の方へ向かって矢を打ち、大きな声を上げて申すのは、「ここへ来たものどもはどのようなものか知っているのか!当領主は清和源氏酒井宮内太夫忠勝公の御内長南久右衛門と難波兵蔵であるぞ。秋にもなれば多くの百姓らが作り置いた田畑に猪・猿・狢が荒らしにくるので、藩主はこれを害と思っておられ、上意を蒙って毎年熊狩りを行っている。全て私欲でやっているわけではない。御領内の山川万物天地は全て我が君主の領地である。何ものにも邪魔される筋合いはない!どこぞの龍神といえどもな!」早く勢子に伝わり、合図鉄砲が7、80丁揃って一度にドッと雲の中に撃ち入れた。山が崩れるほどの大きな音で、2~3度、4~5度続けて撃ち放ち、「これでいかなる天魔龍神も恐れ去るだろう。」とつぶやくと、不思議と今まで鳴り渡っていた雷が静まり、光る物も無くなって晴れ渡った。またとない不思議な出来事であった。これが、君主の御威光がある由縁である。

皆々これを喜び、それぞれ家に帰っていった。めでたいことだ。その一国一城の国主は、つまり一国の神様であると古文に書かれている。誠に有難いことである。愚かに恐れて君主に仕えぬことをすべきでない。

※小木かん:熊穴の入口に突っ掛けとして柴や枝を立てて柵を作ること。熊の習性で、手前に引き込む力はあるが、押し出すことができないため、穴から出られないようにして槍や銃で仕留めていた。穴熊猟の手法。

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